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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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欲しかったのは、幸せである。
欲しかったのは、愛である。
欲しかったのは、ごくごく普通の家庭である。
ただそれだけのことが、あんなに難しいとは思わなかった。
何年努力しても、何年待ちわびても、手に入らなかった。
ずっと頑張っても、手に入らないと気づいた時期と
もうこれ以上頑張れないとわかった時期と
ここはおかしいんじゃないかと思った時期が重なる。

虐待と苛めを受けている瞬間瞬間、
酷いことを言われ続けて朦朧としながら耐えている瞬間、
「おかえり」と心からの笑顔で迎えても無視された瞬間、
抱きつこうとして、突き飛ばされた瞬間、
何を話しても、聞こえない振りをされて、ため息を吐かれた瞬間、
どの自分も「期待」していた。いつか報われる瞬間を期待していた。
「期待」していたから「努力」を続けた。
文字通り無駄な不毛な努力を続けた。

けれど、今ここに認めたい。
私は悪かった。
欲しかったのが幸せならば、
欲しかったのが愛ならば、
欲しかったのが、ごくごく普通の家庭ならば、
あんなに我慢してはいけなかった。
あんなに、自分を無くしてはいけなかった。
あんなに、自分を殺してはいけなかった。
自分を大切にしてあげるべきだった。

私は、私自身に対して不誠実な人間だった。
心の「苦しい」「悲しい」という声に対して、不誠実だった。
毎日涙がぽろぽろ溢れていたのに、
「大丈夫」と根拠もないのに慰め続けた。
私は、自分を大切にしないことで、自分を裏切り、自分を苛め、
自分を傷つけ続けてきた。
また、自分の傷を放置することでさらに悪化させた。
そしてどん底まで堕ちた。

「自分らしく生きる延長線上にしか、幸せはない」
ブログを作った頃、自分に言い聞かせるように
言い続けてきた言葉である。
自分らしく生きることを禁じられて成長した私は、
自分らしく生きることに著しい罪悪感を抱いて生きてきたが、
この年になって自分らしく生きることの大切さに気づき、
それを実践してみた。
実践してから、2年が経過し、
本当に心が楽である。
等身大の自分をありのまま認め、愛することは、
悪いことじゃない。
人が生きていく上で一番大切なことなのだと、
ある人が教えてくれた。

そういう意味で、
私は、かつての結婚生活の中では、全く自分を大切にしていなかった。
自分を大切に生きている人は、
そういうふうにして生きてきた人というのは、
モラと結婚しても長続きしない。
だから、長く傷つくことなく、被害も少なく離婚できるのだと思う。
自分を大切に生きてきた人は、
自分の領域を犯されることを好まない、
相手の領域も犯すことを好まない。
自分に優しく、他人に優しい大人である。

自分を大切に生きてこなかった人は、
ついつい瞬間瞬間で自分を殺してしまい、
あるいは自分より大切な子どものためにと
自分を差し出す行為を繰り返してしまい、
結果ボロボロになってしまう。
自分がそうだったから、そう言い切れる。

かつて私がそうだったように、
「自分を大切にしない人」がいる。
生き方は自由だけれど、
それを続けることは、正しくないと思う。
一度しかない人生である。
泣いても笑っても、時計の針を戻すことはできない。
生まれ変わることも、ここで一旦停止して、また再生することもできない。
刻一刻と人生のかけがえのない、一度きりの時が、
瞬間瞬間が過ぎていく。

人生が、今日と言う一日が、今という一瞬が、
そんなかけがえのない時間だと思えば、
自分を大切にしないというのは、本当にもったいないことだし、
悲しいことだと思う。
自分を大切にしなければ、幸せになれない。
自分を大切にしなければ、愛されることもない。
自分を大切にしなければ、普通の家庭すら、手に入ることは無い。
自分を大切にしない瞬間の積み重ねの先にあるのは、
絶望しかない。
自分を大切にしない人生は、実りのない人生である。

「私は悪かった」
私は、あの頃の、自分を大切にしなかった自分は、
本当に馬鹿だったと強く後悔している。
もっと早く、気づくべきだった。
もっと早く、離れるぺきだった。
あんなに傷つくまで、そばにいなくてもよかった。
もっと早く離れて、もっと早く再出発すればよかった。

1年と3ヶ月という時間をかけて、
自分の傷だらけの軌跡を読み返し、
踏まれても踏まれても目をきらきらさせて
自分を差し出して、
元夫を信じようとした馬鹿な自分を思い出した。
無知で幼くて、自分のこともまわりも見えていない、
何もわかっていない自分がそこに居た。

「私は悪かった」
と認め、宣言するとともに、
心から、これからは、自分らしく、自分を大切に生きることを誓う。
私はこれからも、自分に誠実に、自分に優しく、
自分を認めてあげて、大切にして生きる。

今の私はというと、普通に、
等身大の自分をありのままに認め、抱きしめ、許している。
自分を愛し許すことで、
まわりの大切な人たちを愛し、大切にできると信じているし、
まわりの大切な人たちを幸せに出来ると、確信している。

・・・だから
今まで、相談のメールを頂いたとき、
「あなたは100パーセント悪くない」といい続けてきたが、
少し訂正したいと思う。
対モラに関しては、「あなた」に過失があったからこうなったのではなく
100パーセントモラが原因でこうなったのですよと言えるが、
対自分に関して言えば「何か変」と思ってからも、
それが確信に変わってからもずっと辛抱するのは、
自分と自分の人生に対して誠実ではない。
「あなたは悪くない。けれど辛抱し続けてきた部分は悪い。」
「あなたは悪くない。けれど、自分を大切にしない部分は悪い。」
今なら
そうお声をかけさせていただくと思う。

自分を愛することは、
自分を信じることは、
悪いことではなく、
傷ついた自分が、それを受け入れて、信じられるようになって初めて、
出口が見えるものだと思う。

自尊心も何もかも打ち砕かれたあなたに、
「自分を信じ、愛する」ほど難しいことはないかもしれないが、
それこそが出口なのだと、信じて欲しい。




これは モラハラ被害を受けていたマッチーさんのブログから貼り付けました。

皆が この意識を持てば 平和な家庭が作れるのに・・と思います。

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