忍者ブログ
ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
[17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

実は 夫からの調停申し立ては今回で2度目
それは5年前、夫はリストラの直撃を受け、降格;。更に子供達の受験が重なった。その全ての責任を「悪妻のせいだ!」と言い切り、毎日喚き いつ暴力を振るわれるか分からない不安な日々を子供達と過ごしていた。娘は「私、殺されるかもしれない;」と訴え、私は 娘の部屋の前に布団を敷きバットを偲ばせ寝る・そんな毎日を受験が終わる当日まで続ける事となった。
夫は 正に人格が変わっているのが分かる異常な目線を家族に投げていた
そんな中、突然「悪妻は百年の不作だ」と調停に申し立てた。
申し立て理由は今回と同じ「妻が夫に従わない」だった。

いよいよ調停当日、私は準備を整え いざ出発・と思ったその時、夫からのメール・・
「今 仕事が終わりました。これから帰りますから準備して待っていて下さい」と・・
何のことだか理解出来ない私は「何故?」と返信すると
「兎に角準備していつでも出れるようにしていなさい」との返事が返って来た。
疑問に思いながらも待っていると夫が帰宅。
「早くしなさい。もう 時間が無い・今日は電車にしよう」と2人で調停へ・・・
更に調停時間に間に合わず夫が調停へ電話し「少し遅れます」と・・
「相手側の奥様は?」と聞かれ「今 一緒に向かってます」と・・
まったく理解出来ない夫の心理をただ「??」と思いながら調停に到着。

その時の調停委員の名前は今でもはっきり覚えています。
面談では申し立て側の夫が最初に面接、その後申し立てられた側の私が面接だった。
30分・40分・50分・待てどもお呼びがかからない・・『どうしたんだろう;』と思っていたら
女性の調停委員が迎えに来た。私は席に着いたが もう一人の男性調停委員の姿が見えない・・
暫くして「イヤァ~ お待たせしました。奥様!あんな男とはサッサと別れなさい!
私も長いこと この関係の仕事をしていますが あんな馬鹿げたことを堂々と言ってのける男を今までに見たことがない!貴女ほどの方なら あんな男でなくても 世の中には余すほど好い男はいますよ!」と開口一番・・その勢いに押されて唖然とするばかりの私・・でも、まだ 一番下はその当時義務教育だった;
その話をした上で「子供が成人した時点で、その先 どうするかを私が考えます」と話たが、委員は「でも、奥様、あの男は変わりませんよ!」と・・でも、その時点では
「逃げ」を選べなかった。調停委員の落胆した顔・・。今でも 忘れることが出来ない・・


今思えば さすがに多くの人間を見てきた方の先見の目は正しかった・と 改めて敬意と感謝を申し上げたい気持ちですが・・・

そして1ヵ月後、2回目の調停へは 夫自らが車を運転し 早々と家裁へ到着し、近くの喫茶店で時間潰しのコーヒータイム;
私は心の中で『一体 何しに来たの?』と思いながら・・・

勿論 その時点では 夫が人格障害者であろうなど、知る由もなかった・・

調停では 夫は先生と一騎打ちだったようで、私にお呼びがかかるまで1時間、
夫は「あの家の城主は私だ!そのアルジが妻に三行半を突きつけているんだから
妻は黙って出て行くのが当たり前!」と テーブルを挟んでお互い立ち上がっての大激論だったそうで・・・女性の調停委員が迎えに来た時 話して下さり「奥様 大変ですね;」と・・男性調停委員もさすがに疲れきった様子で「奥様 本当に善いのですか?」と聞かれたが「子供を巣立たせるまでは・・」との思いを受け入れてくださり取り下げとなりました。
結局 私からの「意見書」を提出することなく 夫の「離婚理由書」だけが調停に残されたことになり、それが 今回の調停での最初の「挫け」に繋がった部分でもありましたが・・

その帰り道 夫と共に連れ立って帰る私に「兎に角 私を立てなさい。立てさえすればそれで上手く行くんだから、口先だけでも立てとけば好いんだ」と独り言のように呟いていたが、急に一人でスタスタと歩き出し 一人姿を消した・・・
夜になっても帰宅する気配が無いと思ったらメールで「一晩00に旅行します。心配しないで寝てなさい」と・
・・・

PR
「一歩の誤り」から・・

夫から毎日繰り返される私への罵声。やること成す事 全て否定される。
「あれが出来てない」「これもダメだ」「何をやってる」「心が篭ってない」
毎日毎日、罵詈雑言の夫。
『なぜ・・?どうして・・?』その思いの中で、それでも尚、「私が至らないから・・」と自分に言い聞かせ 夫の要求に必死に応えようとする私。
子育て3人プラス大きな赤ん坊の夫と思いながら過ごした30余年だった。
「良妻賢母」
これが夫の理想だったからこそ 私も妻として精一杯体を張って歩いて来た。
過度のストレスで倒れる事も度々・緊急入院も経験。挙句 酒乱の夫からの暴力で恥骨を蹴られ骨折;緊急入院までしても尚、諦めずに夫婦を歩いて来た。
子供も巣立ち行く今 これからが夫婦水入らず・
「それぞれが思い描いた人生を互いにサポートしながら歩こう」と思っていた矢先
夫が調停に離婚申し立て・・
離婚理由が「夫の命令に従わない妻とこれからの人生を共に歩けない」だった。

「呑む・打つ・買う・暴力」の夫が、家庭をしっかり守り抜いて来た妻に対し「夫の命令に従わない」の理由で離婚調停
こんな馬鹿げた話があるだろうか・と悩んでいたら「こんなバカ男と早く離婚して!」と子供達からの離婚応援メール。

耐えて耐えて耐え抜いた年月だった。

後少しで娘をこの家から嫁がせる日も近い・・
長男のお嫁さんはどんな人かしら・・
次男の彼女は・・
産んだ子供の数分 大きな幸せの花も咲くはず・・の思いはこの夫の前で脆くも崩れ去った。

もういい・・自分を許してあげよう・・
人生 そこまで自己犠牲を払って生きなくても・・と。
もう ゴミ屑のように扱われてまで耐え続けるのはやめよう・・
「これからは自分らしく 明るい私で生きて行こう」と。

主人に『ホメる』『ねぎらう』『感謝する』のコミュニケーションを取っていますが全然優しくならないし、変わらないという相談を受けます。
 
まぁ、長年の思いがありますから、気長な作業ですが 2.3ヶ月経つと 少し効果が出て来るかも・とお話はしています・が・・
 
 相手が優しくない、という評価をしているとき、妻は夫が不器用ながらに愛情表現をしていることには気付きません。
それは 妻側のゆとりがない証拠でもあるのですが、また 自己概念に縛られてしまっている・他者を受け入れない閉鎖的思考に傾いている証拠でもあります。
 
優しい言葉を苦手とする夫が、生活面で苦労させまいと仕事を一生懸命やることで愛情を示していたとすると、妻側は「私の望む事を全く理解していない夫」になる訳ですが、
考えてみると「私のほしいものを、私の思い通りに示さないのだから、いらない」という事ですから それ自体がわがままにもなります。
この発想をしている限り、仲良くなる事は不可能です。
 
 また、妻側も過去のトラウマに縛られている場合もあります
父親が頼りなかった、威圧的だった、暴力的だった という経緯を辿った為に 男の人は信じられない・・になった。
 すると 頼りなさ、ちょっとした威張り、学歴とか仕事の成績を自慢する、なんかあるときちょっと激しく怒った、こんな出来事が「あぁ!!この人も父親と同じだ!許せない!ひどい!幻滅した!」という感覚を呼び起こし、失望し夫との距離を取るようになります。

 でも、父親との関係が良好だった人なら、あっさりと聞き流して許せる事だったりもします。つまりこれは こちら側の心の中に幼少期から持ち続けた怒りが 夫の行動とダブり現れただけのことで、もっと言えば、父親に対する怒りを夫にぶつけたということであり 感情の借金を彼に肩代わりさせただけだったりします。

 こうして、少し忍耐強く『ホメる』『ねぎらう』『感謝する』のコミュニケーションを続けていくと次第に夫の気持ちもほぐれて来るから不思議で、相手に優しくしてあげる事で相互作用が起こり、元の夫婦に復活する事も充分可能なのです。思ったような効果が見られない・と短期を起こさず、「子供の為」「お金の為」等の理由付けであってもよいので、取り合えずこの3原則を続ける事で「離婚」を回避出来れば これは「夫婦の危機を脱する事が出来、家族の笑顔を取り戻せその先も穏やかに暮せるのですから チャンスは切り捨てないで欲しいと思います。
 
それでも 最大限の努力をしたけれど、もう自分では夫を支えきれない、そう思った時、別れを選択することは止むを得ないことです。
 しかし、その時には、相手を誹謗中傷するのではなく「私では支えられないほど、夫は精神的に病んでいた」と思いましょう。

このようなケースに該当する方の多くは、「暴力、浮気、風俗、浪費、ギャンブル、アルコール」等の嗜好を持ち合わせていますが これら全ては 心の抑圧・コンプレックスから来るものが多いのですが 自分に持つコンプレックスを表面化することを恐れる為 あえて専門家のドアを叩く事を拒む傾向にあるため 助けを求める気がない相手に手を差し伸べ 改善する事に期待は持てません。その場合は 打つ手がありませんから 自分がボロボロになる前に、勇気を出して別れを選択することも止む成しと思います。

結局 夫は表面の自分しか存在しなかった
だから 必死で他人の評価を求めた
周りに<凄い>と言わしめる為の仕事とプライベートだったのだと・・。
他人の評価でしか生きられない人間が「自己確立」等出来るわけが無い。

それに対し私は 夫に年輪の中に鈍く輝く<いぶし銀>を求めた。
それは 同時に私自身も求めていた事だったから。

「老いて必要とされる人間となれ」
私は実践して来た。しかし、夫はそんな私を否定し続けた
その結局 夫には<いぶし銀>を求める事は出来なかった

だから「夫は夫・私は私」  そう区切った。

結局 この構図が夫婦相互依存のスタートラインだから。
夫は未だに私への恨み辛みばかり;

そうねぇ、もしかしたら最初のゆうこさんと同じ感じかしら・・

「アイツがこうだったから 私はこうなった」
「悪妻は百年の不作」とか


結局 夫の根底にあるものは「コンプレックス」
自分の基盤が出来上がってない証拠。夫が敵意を剥き出しにする相手ほど依存してる度合いも高い。

だから 夫の悪態を見ながら 私はほくそ笑んでる

自我基盤が出来ている人は「自分の世界」を持っている。
夫のように 他人に見せるだけの仕事しか出来ない人は
結果として何一つ望むモノは手に入らない。
優しさに包まれた暖かな家庭が夢だった
夫にムリを言ったつもりは全く無かった
その分 自分が我慢さえすれば・って一人踏ん張って・・

手を出せばそこにある ささやかな幸せ・・
結局、夫にはその幸せは望むものではなかった

か細く・守ってあげたい・
そんな妻という名の母親

流した涙も、天を仰いだあの口惜しさも
今となっては惜別の思いとなって心をくすぐるだけ・・

暖かだったあの頃の家族の笑顔と共に・・

・・もういいわ・・
・・そう思えた・・





忍者ブログ [PR]
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索