ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
全くもって 相変わらずの独裁者ぶりに驚くよりも諦めムードに一転。
私は もう この男の尻拭いは出来ない; 結論から言えば「ご勝手に」 在るものに感謝する心。その恩恵に報いるために自分の出来ることを精一杯やろうとすること。(隣人や物への思いやり) ②自分を大切にし、常に磨き向上しようと努力すること
③謙虚であること。
の3つはどうしても譲れないところです。具体的に言えば
・貴女の両親、私の両親をもっと大切にして欲しかった。
・子供達の様子をもっと観察し、深い愛情を持って助言や苦言を呈して欲しかった
・家財や食材にも魂があります。もっと大切に扱って欲しかった。
・自分を大切にし、もっと自分を磨いて魅力ある人間に成長して欲しかった。
・他人の助言を素直に聞く姿勢を持って欲しかった。
・自分の失敗は潔く認め、繰り返さぬよう工夫をして欲しかった。
・自分の権利ばかりを主張しないで欲しかった。
『よくもまぁ;自分の事を事細かに 述べられた事;』と ただ、感心するばかり; これこそ「モラの自己紹介」 嫁・姑のトラブルなく歩いて来て、よもや 夫から「トラブル続きだった」・等と言われようとは想像出来なかったし、我親に対しても、夫から只の一度たりとも電話すらしたことはなかったし、私の親への仕送りもこの1年まえから、思い出したようにし始めた事で、親に向かって「大切にして欲しかった」とは呆れてしまう。 子供達に関しても、自分のご機嫌如何で怒鳴り散らして来た夫に 何の信頼が生まれるだろう 更に、そんなに良い父親ならば 子供がもっと慕って行くだろうに・ そんな事一つも認識出来ない方が >父親として出来る事は精一杯して来たつもりですし、
>まずまず評価できるレベルだったと自己採点しています。 という 全く頓珍漢な発想で物事を捉えるから 我が家は周りからおかしい・といわれているのだ; ホントに 呆れるとは この事; 毎回の事だが、「・・して欲しかった」という要求は 私と決別ではなく 「俺様に従え!」 「従わなければ 経済封鎖だ」という事を言いたかっただけの事; >さて、過去のことより未来のことを考えたいと思います。
>このような関係をずるずると続けていくのはお互い不幸だと思うし、 >天から与えられた限りある生命の時間を無駄に使うことは神への感謝に背くことになります。
>別々の人生を歩んだほうが良いと思います。 >いかがでしょうか?貴女の考えを聞かせてください。今度こそ、誠意のある返事をください。 だから~ 先日(1月29日)にお話しました通り 「出て行く為には仕度金が必要ですから、取り合えず500万 準備して下さい」って・・ 貴方は「ウン・分かった。それが妥当な金額なら出す」と言いましたよ! つべこべ言わないで 男ならサッサと出しなさいよ!! 私は、もう・貴方のサンドバッグ代わりで、いたぶられるつもりはありません!。 >清算については、第三者の公平な判断に任せたいと思います。
>子供達ももう成人していますのでどちらと同居するか等についても本人達の意思に任せたいと思います。 >追伸:2月より給与は振込みでなく現金で渡すことにしました。
結局、これが言いたかったのね・ バカバカしい; 茶番劇じゃないの。 出るところで決着つける前に 貴方とはさよならよ!! PR 四半世紀いろいろな事がありましたが、まずは「ありがとう」感謝します。
私も50歳を迎えいろいろと考えています。ある人曰く「人生75年を3つに分ける見方がある」と・・・。
私にとって、最初の25年が大人への準備期間、次が貴女との共同作業の子育て期間でした。
これまでは何が何でも子供達を育て上げることを最大のもくひょうにして全力を尽くしました。
「金銭面で進路を限定されることのないように」「人並み以上の生活レベルを」「父親として出来るだけ立派な背中を見せなくては」等など。
父親として出来る事は精一杯して来たつもりですし、まずまず評価できるレベルだったと自己採点しています。
その中で貴女とパートナーとしてやってきた訳ですが、正直なところしっくり行っていなかったと思います。原因は性格の不適合だと思います。
趣味・嗜好・価値観・考え方が違い過ぎ、お互いに受け入れられない領域にあるのでしょう。
さて、3つ目、最後の25年ですが、自分自身のために生きたいと思っています。たった一度の人生です。いままでいろいろな制約の中で出来なかったことの実現に向けて進みたいと思っています
・心や五感に潤いを与えられる自然や文化に触れる豊かな暮らしをする。
・自分の信念に逆らわずに自分のペースで自分の本当に好きな仕事をする。
・子供や孫達が都会の戦いに疲れた時に、心を癒し一時充電できる家を作る。
等です。
最後の25年のパートナーは、人生観・価値観・趣味・嗜好が似ていて、尊敬できる人であって欲しいと思っています。
それが、貴女であればベストだったのですがそれは叶いませんでした。別に具体的な人がいるわけではありませんが・・・。
①在るものに感謝する心。その恩恵に報いるために自分の出来ることを精一杯やろうとすること。(隣人や物への思いやり)
②自分を大切にし、常に磨き向上しようと努力すること
③謙虚であること。
の3つはどうしても譲れないところです。具体的に言えば
・貴女の両親、私の両親をもっと大切にして欲しかった。
・子供達の様子をもっと観察し、深い愛情を持って助言や苦言を呈して欲しかった
・家財や食材にも魂があります。もっと大切に扱って欲しかった。
・自分を大切にし、もっと自分を磨いて魅力ある人間に成長して欲しかった。
・他人の助言を素直に聞く姿勢を持って欲しかった。
・自分の失敗は潔く認め、繰り返さぬよう工夫をして欲しかった。
・自分の権利ばかりを主張しないで欲しかった。
というようなことでした。
貴女には伝わっていたと思いますが、真面目に取り組もうとしてくれなかったことが残念です。
さて、過去のことより未来のことを考えたいと思います。このような関係をずるずると続けていくのはお互い不幸だと思うし、
天から与えられた限りある生命の時間を無駄に使うことは神への感謝に背くことになります。別々の人生を歩んだほうが良いと思います。
清算については、第三者の公平な判断に任せたいと思います。子供達ももう成人していますのでどちらと同居するか等についても本人達の意思に任せたいと思います。
いかがでしょうか?貴女の考えを聞かせてください。今度こそ、誠意のある返事をください。
追伸:2月より給与は振込みでなく現金で渡すことにしました。
夫婦の歴史は子供の歴史テーマ:ブログ『夫は、どこかおかしい・・』 そう思い始めたのは結婚に至る段階でも分かっていたのにも関わらず、 私の心のレンズは「恋」という<磨りガラス>状態; 『瞬間的に人が変わり、暴力を振るうけど、この人は本当はいい人なのよ・・』と 私の心で摩り替えていた・・
一緒になって25年・・銀婚式・・・ 思い返してみれば 私の心には常に「別れ・離婚」が付きまとっていた。
3年目ー海外での女遊び;性病 その後は 付き合いと銘うち朝3時からゴルフにお出かけ、更には泊まりのゴルフ・マージャン・呑み会・・・・ 家の全てを私に任せ、好き放題 自由気まま・・
同僚Mの女性関係のお零れをチョイつまみした事もあった;
転勤先では不倫に走り、家族のいる目の前で携帯電話が鳴り、慌てて取ると女性の声・・ 「あぁ~~彼女!???い~けないんだ・いけないんだ!!」と次男の声にシドロモドロ; 慌てて電話を切った夫に 私「どなた?」 夫「うん;・・友達・・」 私「ふぅ~ん・転勤先に友達なんて居る訳がないでしょ・」 夫「アッ;;そうか;;そうだね;;・・・・・」
出会い系・ファッションヘルス・・・汚らしくて 考えたくも無い!
≪そんな手で 私を触るな!!!!!≫
挙句「私はいつまでも若い!」をモットーに 必死で老いを拒絶するかのように 毎朝ジョギングを5分・ ジム通いの後にはプロテインを飲み、 老いて行く自分に鞭打つ・
私から見れば≪只の足掻き≫に過ぎない
しかし、夫は娘に言う 「昨日会った貴女の友達はパパを見て 皆 <お父さんって若いねぇ>って言ってたでしょ」 と 自信満々で・・ 娘「・・イや、全然;話題にもならなかったよ;」 夫「あっ、そう・・」
結局、この25年を通じて判った夫の性格分析は以下の通り。
<自意識過剰>→ナルシスト→自己愛性人格障害→依存症
依存症→恋愛依存症→回避依存症(独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者)だった
(この詳細は、この次に列記する事とする)
なぜ出会った頃に「別れたい!」と何度も告げた自分の意志を貫かなかったのだろう; 最初から、『この男では・・』という直感は働いていたのに・・・
しかし、私には3人のかけがえのない子供達がいる^^ この子供達がいたお陰で、私は夢を捨てずに此処まで来れたのだから
あと一歩・・・・踏ん張る!
3人目を授かったのは 長男誕生の3年後。 子育てにもゆとりが出来たからか、結構ゆったりと・・・ と思ったのもつかの間・ この次男が一番大変だった; 泣き声の大きさと言ったら<桁ハッズレ> しかも、私から一切離れない; どこに行くのも一緒。 まず、お風呂・・・・子供達3人で入るのには まだ次男が幼過ぎる為 2人の子供を先に湯船に入れ、一人ずつ身体を洗ってあげるのだが、 この次男は裸の私の背中にしっかりおんぶ;絶対に離れない; 落ちそうになるので、結局 「おんぶ紐」で対処する事に・・・ 2人お風呂から上げ、身体を拭き、リビングでアンパンマンを見せている間に 次男とお風呂; 上2人のお風呂に30分以上付き合い、更に次男・・ 3人お風呂が終わる頃には、私はフラフラ; その上、いざ、料理を作る段になると、この次男は私の左前に抱かれないと 背中から私の耳に向かって「ギャーギャー」泣き叫び、 前抱きにしない限り1時間でも泣き止まない! さすがに諦めたのは次男ではなく 私だった;; だから、いつも 右手は包丁、片手に次男を抱え、野菜やお肉をまな板に乗せてお料理を作る。 左前に抱かれ上手くバランスを取りながら、私の料理を上から眺めている事が好きな子供だった。 時に、左腕が痺れて来て、次男を床に下ろそうものなら、瞬間的に 「ギャァーギャアー」と全身汗だくで泣き叫ぶ;; 床はフローリング;声が反響して;;; 目が回る育児生活; それでも親バカ丸出しの私・・・・ ところが、夫は私の育児に対し、些細な事を口にし始めた・・ 「貴女はいいねぇ・こんなに可愛い子供達と毎日一緒に暮らせて・・」から始まって・・・ 夫の帰宅後は<子育て+大きな赤ん坊→私 >と毎日、目が回り・・・ その繰り返しの中で、ついに限界が来た; 夫は私に「会社の業績が良かったからグアム旅行がプレゼントされた」と嘘をつき 会社の同僚とイソイソ女性抱きツアーの幹事をし、4人でお出かけ。 それとも知らず、私は成田まで送迎;;;;; それが、ひょんな形でばれる事となる; 帰国後、1週間ほどしてか・真っ青に血の気の引いた夫が出社前に 「ママ・・・淋病 移されたかもしれないから、ママも病院に行ったほうがいい;」と・・ 事を理解出来ない私に「カプセルホテルに泊まった際に ホテルのタオルで移った可能性がある;」と。 夫を絶対に信じていた私・ 早速、掛かりつけの産婦人科へ・・ 「先生;なんだか、主人が淋病をカプセルホテルのタオルで移されて来た、って言うんですけど;;」と・・ 先生も・・・ 看護士も・・・私も もちろん・・・ 静寂を破ったのは看護士さん・ 「先生・もう、ハッキリ言ってあげて~~!」と・・ 先生「・・・まぁ・・そうだね;;淋病はタオルでは移らない;;と・・」 私「エッ@@;でも・・主人はそう言ってましたが;;」 看護士「だ・か・ら・ 騙されてるのよ!!旦那さんに;」・・ 私「;;;;;;;そんなぁ;;;;先生;;ホント???;;」 先生「;;;ウン;;マァ・・ソウダネェ・・・」 看護士「あぁ~~もう!じれったい!だから、浮気してるのよ!旦那は!! 全く!御人好しなんだから 貴女は!!しっかりしなさいよ!!」と@@; 私はただ、言葉もなく;; 結局 診断結果は移ってなく、良かったのだけれど、私はそれによって 夫婦として積み上げてきた歴史の基礎を根底から潰してしまう事となる。 「3人の子供達;私という人生」 そこに行き着きため息・・・その繰り返し・・・・・ その結果、私はついに倒れてしまった; 意識朦朧の中で、次男は変わらず 私をハイハイで 「ギャァーギャァ」追いかけて来る; 目の前はグルグルジェットコースターのように上下なく物凄い勢いで360度回転している; 下に住む姑はトレーニングにお出かけで不在; それより、とにかく 立っていられない;;;電話;;; やっと、友達に繋がり、ゲロを吐きながら助けを求めた; 直ぐに 友達が駆けつけ、救急車を呼んでくれ・・・ その救急車の音でご近所の奥様方も部屋に上がって来て頂き・・・・ 私は幼稚園のお迎えも出来ない;;;次男も残したまま、緊急入院; ストレッチャーで運ばれる間も 私は切れることなく備え付けのビニールに戻し続ける 胃の中は既に空っぽの状態なのに、腸も痙攣を起こし、ゲロを誘発している;; 息も絶え絶え; それでも、精密検査の異常は無し; そりゃそうです;「ストレス!」それだけだから; 夫が病院に駆けつけた時、意識朦朧の中で夫を見つけ 私が発した言葉は 「;;パパ;;;」・・・ 夫は真っ青な私の顔を見て『これは もう ダメかも;』と思い見舞いに来てくれた友達を前に 「私がいけなかったんです;私が子育てを全部妻に任せてしまったから」と;; それに反し姑は ご近所の奥様達が右往左往している時にのんびり帰宅・ ご近所の奥さんが事情を話してくれたそうだが、 「あ~ら、いつもの女の”なんか”じゃないんですかぁ;そんなに大騒動しなくてもいいのに・・」とノタマッタソウデ;; 後に、ご近所から非難轟々;白い目で見られる事となった 私は その言葉を友達から後で聞きながら ベッドの上で決心。 『こんな人達に我子を任せられない!明日、退院するぞ!』と。 当然、病院側とすれば<絶対安静>の患者; ダメに決まってる・ でも、強制的に退院しました。二度と来ない事を前提に・・ <母は強し!> それからの私は、真正面からこの親子と心理で戦う事となったのです。 「夫婦」から<家族>へテーマ:ブログ「好きだ!」「愛してる!」 その結果として授けられた二人の宝物は そして それによって「親子」「家族」という新しい形が始まった。
長女の時は 最初の子だけあって 二人ともビクビク^^; 貴方は出産に立ち会うつもりでいましたよね・ もちろん それは 私の願いでもありました・・・・
でも、ドクターから「ご主人は多分 無理ですよ;倒れてしまう」と・・・・
結局、壁一枚隔て 貴方は身動ぎもせず 我子の産声を待つ事となりました。
「オギャァアア~~~~」ヽ((◎д◎ ))ゝ
部屋の壁が崩れるのではないか・と思えるほどの大きな声で それから一週間・ まるで<オアズケ>をされている犬のように ガラス越しの育児室にいるわが子を毎日来ては 愛おしそうに眺めていました(=⌒▽⌒=)
そして待ちに待った退院の日・・貴方にとっては初めて娘を抱ける日 おくるみで包まっているにも関わらず、娘を気遣って・・
「腕時計、外した方がいいよね o(^▽^)o」
あの時の貴方の笑顔は 今も鮮明に私の脳裏に刻まれています。 そう・・今振り返っても あの時の貴方の笑顔が最高だったと・・
小さくて もみじのような手 ちょっと力を入れれば直ぐに折れてしまいそうな身体・・ そう・ 貴方の玩具(´∀`) 毎日、お風呂に入れるのを楽しみに帰って来る貴方・ありがとう☆ 手探りながら お互いに一生懸命でしたね その傍らで、私は「母」として、生きる全てを私に委ねた小さな命を守る本能に目覚めて行きました・・ 私の胸は既に120センチにまでなり、母乳は常に満タン状態で噴出し、 バスタオルもアッという間にビショビショ Σ(=°ω°=;ノ)ノ
わが子に飲ませたくても 噴出し過ぎて口に入らない; 半分以上搾り出してから口に含ませる ドクターから「3時間ごとに母乳を飲ませてください」のお言いつけ通り 目覚ましを3時間ごとにかけ・・・・・ スヤスヤ寝ている娘を起こして母乳を飲ませ続ける; そんな無謀な教えを真に受けながら 必死で教わったように・・・・・ そして 自分達なりの試行錯誤を繰り返しながら 日々過ぎて行きました そして、娘の1歳の誕生日を迎えた1ヵ月後 ・・私は2人目 1歳1ヶ月違いの年子ちゃんでした 娘と大違いで・・・・・ 生まれて来たにも拘らず 産声が・・・・・泣き声が聞こえない; <ピチャ ピシッ>の音に気付いた私が足元を覗くと ドクターが息子の足首を持ち 逆さに持ってお尻を叩いている音だった・・( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚ 私 「どうしたんですか(汗;!?」 ドクター 「寝てるんだよ!」( ̄□ ̄;)・・・・・・ <ペシッ ピチッ>・・・・ 「ホンニャァアァァア~~」 ドクター「アッ・やっと起きた」!(´Д`;) 私「@@;・・・・・(@Д@;」・・・・・・・ 壁越しに待っていた夫は この時 既に 『もう一人つくらなくては・』と思っていたそうな 長男は まさしく「おっとりと穏やかな性格」 娘にはドクターから教わった通り「ほうれん草のクリームスープ」等、別メニューで離乳食を食べさせ・・・・・ ところが 今度はいきなり 姑が長男を抱きかかえ 口移しで 「ハイ^^ア~~ンちて・」とスプーンでポイポイ 「そう^^ オイチイデチュか^^」 私達2人はアングリ・・一緒に口を開け・・・・・o(〃^▽^〃)o 「何だ・子育てって こうすれば良かったんだ!」 義両親のお陰で 私の子育てにも一つの自信がつきました 「感謝
|
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
最古記事
(02/09)
(02/10)
(02/10)
(02/11)
(02/17) |