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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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「相手の心の『表とウラ』が見える心理学」「三笠書房」


 
 ずるい人は、自分の手を汚さない。
人を利用するずるい人は、自分の手を汚さないで不当な利益を獲得する。

人を利用するずるい人は、相手を人格として認めていない。
周囲にいる人は、“将棋のコマ”なのである。
だから、利用するためにはニコニコもできるし、脅しで怒ることもできる

その組織で優位な立ち場に立ちたいと思っている人が二人いれば、ずるい人にとっては操作のための絶好の状況である。とにかくその二人を対立させる。

人を利用する人の常套手段の一つは、仲間割れをさせるということである。
 
二人が対立していることが自分の立場を安定させるからである。
そうすれば、やりたい放題できる。
二人ともそのずるい人を味方につけたいから、ずるい人のすることを何事も多めに見る。 

結局二人とも利用されているだけなのであるが、二人とも必死の戦いをする。そして二人とも消耗する。

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無力性性格の者は、ときに自分が軽くあしらわれ、侮辱されているのに、そのことに気づかないということがある。無力性性格者が抑圧したときである。もともと人と対立できない。そこで相手から侮辱されても、そのことを意識するのが恐いということがある。相手からの侮辱を意識することはお互いの関係に波風が立つことでもある。そこで侮辱されてもそれを意識しない。意識しなければお互いの関係は波風が立たない。無力性性格の者は人がよく、やさしいのに、いや人がよく、やさしいが故に利己的な人達からいいように侮辱され、利用され、精神的に搾取される。
 精神的に搾取されるということは、相手が相手の人生の充実のために相手の人生観を押しつけたり、支配したり、束縛したりするということである。それが最もハッキリするのは心理的サド・マゾ関係である。
 相手が相手の心理的無力感を克服するために、無力性性格者を侮辱する。相手は無力性性格者を侮辱することで、心理的な充実感を得ようとするのである。そのような異常な関係であっても、無力性性格者はその関係を断ち切ることができないで侮辱されるにまかせる。

不機嫌になる心理 
(PHP研究所)

 従順な人はよく考えてみることである。相手は自分にとって何であるのか・・・・・・と。相手に気に入られることが、自分の人生の意味になってしまっているのではないか。だから相手から見捨てられたり、嫌われたりすることが耐えられないのであろう。自分をなくすことで人生の意味を見失い、人に気に入られることが生きる意味になり、その結果、ますます自己不在になっていくという悪循環になってしまっている。
 自分を犠牲にして相手に気に入られようとすることで生きる意味を見失い、生きる意味を見失ったことで相手に気に入られることが生きる意味になってしまう。その結果、ますます相手に気に入られようとして、いよいよ自分を犠牲にする。いったん悪循環におちいってしまうとなかなか断ち切れない。気に入られることが生きる意味になった人は、何でもいいからその人とは関係のない何か自分の好きなことを作ることである。
 相手はあなたに気に入られることが人生の意味になっていないから、いろいろとあなたに強いことをいう。こんな馬鹿らしいことがあろうか。相手はあなたのために自分を犠牲にしないのに、なぜあなたは相手のために自分を犠牲にするのだ

努力しても、努力しても、報われない人達」は、つき合っている人が悪い。


  人は善意だけでは幸せになれない。
人の晩年を見ていると、つくづくそう思う。もちろん若くても同じである。善意の人だけれども、生きるのが辛くなっている人がいる。
老若男女を問わず、善意の人だけれども、なぜか不幸せになっていく人がいる。努力に努力を重ねて生きているのだけれども、一向に幸運が向いてこない人もいる。
 頑張って生きているが、坂道を転がり落ちていくような人生を送っている人もいる。
ことにもう先のない晩年の悲惨な姿を見ると、「この人は何のために、あれだけ頑張って生きてきたのだろう」と思ってしまう。
 しかし、そういう人をよーく観察してみると、「あー、やっぱり」と思うことがある。それは必ず周囲にずるい人がいるということである。
 そういう「努力しても、努力しても、報われない人達」は、つき合っている人が悪い。そういう報われない人は、質の悪い人間に、いつも利用されて生きているのである。
「何であの人がこうなるのか?」と疑問に思うが、よく周囲を観察すると、「あーやっぱり」となる。自分の立場をわきまえない、誠意のない人が周囲にゾロゾロといる。
 ずるい人は、「この人」と狙いをつけ、吸いついたらスッポンのように離れない。相手が倒れるまで吸いつく。ずるい人は、誰でも彼でも利用しようとするのではない。必ず「この人」と狙いをつける。
 ずるい人は、甘い汁を吸えない人には近づかない。だから、「俺は誰からも騙されていない」と得意になっている人も考えものである。ずるい人にとって利用価値がなかったからかもしれない。その人から得られるようなものが何もないから、ずるい人が近づかないのかもしれない。

 怠け者で、いつも人から何かをもらおうとしているような人に、ずるい人は近づかない。実は努力する性格そのものが、ずるい人にとっては甘い汁の源なのである。


私が生計を支えているんだ」
それだけに固執し、優先順位を経済的なことに絞り、
「稼いで来るアルジを最優先にするのは当たり前」とばかりに
父親を敬わせ、何があっても父親第一主義を貫こうとプライオリティーを意識し、それが叶わないと自分が不当に扱われたと憤慨し不機嫌になる。
家族は父親の顔色を伺い、ご機嫌を損ねないように暮らす事を常とするように躾られ
そして その親を眺めて育った子供達の多くが 幼い頃からその父親と同じような傾向を示し始める

その一つが「自分第一主義」
最も 子供の場合は兄弟の中での小さな母親争奪戦はあるが「僕だけを見て」という母親へのサインに もう一つ 子供なりのプライオリティーが加わり 幼いなりに「僕第一主義」の基盤づくりが始まる。

そうなると子供は 自分の感じる感情が母親と一体化していないことに苛立ちを覚え始めるし、<一体化>することを常とする
母親が自分のすることに興味を示す事が前提であり そうでなければ
<許せない>。
この感覚が 成人した時点で「自己中心性」の基となり、これが<暴君>の傾向を示し、他者と関われない要素となるが 当の本人は自分の自己中心性については全く意識しない。

彼らの多くは「自分意識の基」で生きているため、

【他者との関わりを必要としながらも関われない自分に次第にコンプレックスを持つ様になるのだが、表面的には関われない自分を擁護する為、他者を抑圧する事で自分を守ろうとする防衛本能を起こす。】

だから 常に自分の話に相手が興味を示さない事に苛立つし、要求を受け入れない事に激怒する

彼らには「表面的な自分」しか存在しない
それ故 自分が周りにした事には恩を着せるが、自分が相手からしてもらったことには関心すら示さない。

【彼らの頭にある事は 他者に「褒められたい」「認められたい」という願望を満たす事だけ】で精一杯で潜在的な繋がりに乏しい
それだけに今の自分が第一優先でなければ許されないのだ。

「主権者という名の暴君」「亭主関白」


何よりも<アルジ優先>の構図が生んだもの・・
家庭の中で生まれた「・・べき」「・・はず」の論理は 社会では通じない事を彼らは受け入れられない自分に苦悩し、「・・はず」の答えを受け入れられないままに生きて行くことになる
それが いずれ 自分の心に影を作り、閉鎖的な自分と向き合う事にも繋がり 結果として孤独な自分を自分の中で許容するしか術が無くなる。


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