2000年 東京に戻って 長女高3・長男高校2・次男中学2年になった
陸上部とテニス部に所属する子供達は どんどん成長する
それと同時に 食費は留まる事を知らないかのように出て行く。
生活費は明らかに足りない・・・
毎日 頭を抱える日が続いた
そんなある日 夫に意を決して話しかけた
「子供達にお金がかかる。ホント・よく食べるから毎回1升のお米を炊くようになって・食費が足りなくなったわ;」と 軽快に話を切り出した・・
夫は「それはそうだろう。毎回5杯はご飯食べるんだから」と。
『オッ・今日の夫はご機嫌好い・・?』
『もしかして 生活費、少しは増額してくれる・・・??かも』と
淡い期待に胸は躍る。
「そ・そうなのよ~、だから、」と切り出すと 私の話を遮断。
「うちの子供達は余りよく噛んでないんじゃないか?よく噛むとあごも発達するし、胃液の分泌も好くなる。また よく噛むから噛んでる間に中枢神経が刺激され、そんなに食べなくても結構お腹が膨らむ。
1回 口に入れたら30から40回は噛むよう数えながら、意識して食べれば、少し食べただけで満腹感も得られるから 食費も浮くよ。
更に今度買うお米は値段の安いものに変えればいいよ。そうすれば全て上手く行く」と言いながらも尚、
「でも、ご飯ばかりじゃ、炭水化物だけで さして栄養がないから
ご飯の食べる量が減った分、少し多めにカルシウムや動物性タンパクを摂らないと子供達の身体はこれから作られる大切な時期だから、もう少し量を減らし、品数を1・2品 増やしてあげればいいよ」
と・・・
『そう来たか;』
無言の私・・ その時はそれで 話は打ち切られた。
私は 新婚当初から 夫と会話する度に 夫の巧みな話術に操作され、身勝手な結論を受け入れることを暗黙の内に強要されて来た。
それは間違いなく私のストレスとなり、消化出来ないまま引き摺る・・それが「片頭痛・冷や汗・震え・吐き気・めまい」といった症状で倒れ・救急車のお世話になったこともあった。
「心因性ストレス・絶対安静2週間」
これが医師の診断結果だった
私はそのまま入院・・・。
しかし、その当時 幼子3人、乳飲み子抱えて入院する訳に行かず、翌日に無理をお願いして退院させてもらった。
誰が見ても無謀な行動。
しかしその当時の私は <無理を押してまで尽くすこと>が
「良妻賢母」と思い込んでいた。
その結果 新たな悪条件を抱える事になろうとは 考える術も無く、むしろ夫は無理を押して退院してくれた妻に感謝してくれる<はず>の思い込みで 一人『妻の私が頑張らなくては!』と力み、
<良妻賢母>の誤った考え方を植えつけてしまった。
そして 今回 <頑張った>けれど どうにもならなくなった私は
もう一度夫に「やはり 生活費が足りないわ・・」と訴える事にした。
勿論 それは 私自身妻として「敗北」すら意味する言葉である・と覚悟しながらの<直訴>だった・・・
が、夫から返ってきた言葉は
「全く・・・貴女ってどうしようもないね; 頭は生きているうちに使うもんだよ。
お米だけの値段を下げても、そんなの大した事無いだろう。
お米は毎日必ず食べるものだから、ある程度品質には拘るのは仕方がない。美味しいほうが好いんだから、お米は以前と同じコシヒカリを買って(この段階で既に?)、おかず類の値段を下げ、沢山買い込んで、週に1・2回 買出しに行くようにすれば安く上がるよ。キャベツなんてスーパーでは一番上の葉をその辺に捨ててあるだろう。あれを貰って来てママが美味しく料理すればいいんだよ.それこそキャベツは煮ても・炒めても好い訳だし・・それから先はママの腕の振るいどころだよ。ママの一番得意とするところじゃないか」と。。。
更に畳み込むように
「努力も何も考えないで 何もかも出来ない いい訳してたってダメなんだよ!私は此処までやってます・って言う訴えるものがないと!!」と声を荒げて言うので 『ならば!』と、
半年分の家計簿をパソコンからコピーして見せた。
すると 開口一番 夫の口から出た言葉が
「アァ~ア;勿体無い!カラーインク、高いんだからね!!
こういうところから節約する気持ちが無いんだよ!」
と一喝!・・・・・(私は唖然;)。
予想もしない返答に
「だったら 家計簿をパソコンで見るの?見ないでしょ。
私がどんなに四苦八苦したって 彼方には関係ないんだもんね」
と切り返すと、「言えば見るよ・・」と言うので
「じゃぁ 取り合えずコピーしたんだからしっかり見てよ」と
尚食い下がる私に
「贅沢をし始めたらきりが無いんだよ」と言いながら パラパラと10秒ほど眺め、終了。
挙句、次の言葉が
「いい旦那だよねぇ、奥さんがへそくり作っても 何も分らないんだから、ママにとっては扱い易い旦那さんでしょ」と;;;
<興醒め>・・・・・・・・・ ただアングリ;;;
全く的を外した返答に ただ戦意を無くし、意気消沈の私・・・
(後に これこそが・投影・だと理解するのですが・・)
その頃は既に年収1000万近く・・年に夫自身が自由に使う小遣いは100万が当たり前・・それに貯金は夫が全て管理している。
しかし<呑む・討つ・買う>を平然とやってのける夫が
月7万で家族5人の食費を賄っている妻に「貴女は贅沢だ」と激昂し、恫喝する。
「貴女は この裕福な生活をしていることに全く感謝が無い!!。
中国から出稼ぎに来ている女性の実態を知っているか?
彼女達は 1ヶ月稼いだ中から中国に住む家族に仕送りをしながら この日本で3万で暮してるんだよ!1ヶ月3万だよ!凄いよ。
貴女なんかよりよっぽど立派な女性だよ。大体 貴女は私に甘え過ぎだよ!
中国の女性のほうが よっぽどいい奥さんになる。
貴女は幸せ過ぎて気付いてないかもしれないけど、今の此処の生活は 彼女達の何十倍・イや・何百倍も幸せな生活をしてるんだよ。それに気付きもしないで、<お金が無い>と平気で お金を私から取ろうと考えている;
私は <打ち出の小槌> じゃ無いんだよ!全く 呆れるよ!」と・・・・・
<中国の女性??><打ち出の小槌??>
『それは一体 何????』
その言葉に呆れ、言葉すら無くした私は やっと
「それでは その方とお暮らしになればいいじゃないですか・・!」と・・
すると「本当はそうしたいところだよ、でも 現実は出来ないから仕方がないんだよ、悪妻でも我慢するしかない」と夫・・・・・
そんな低次元の会話を強引に押し通す夫を私は冷ややかに眺めるだけ・・・・・・・
夫の「理想」・・ 妻の「現実」。
この時点で 私は夫と<話し合う>そのものを諦めた;イや、諦めざるを得なかった。
ついに 意を決して 一時金を得る為にだけ 「短期・フル」での仕事に就いた。
夫が夢見る「家経費」=「金銭」に関するギャップは 歩み寄ることなど到底無理であることを 肝に銘じながら・・・。
だから 何時の時も 話し合い一つも成就した事は無かった。
夫は自分の立場が不利になると 決まって
「なぜ もっと早く言わなかった!」とこちらを責める。
しかし 夫には人として一番大切な心・・「優しさがない!」
その優しさがないくせに「私に何でも相談していいよ」と語りかけるし、相談しないこちら側を攻め 自分の内側の問題と向き合おうともしない;。
私は この27年間、いつの間にか夫の巧みな話術に誤魔化され・操られる事を暗黙の中で受領し、夫の都合の好い道具と化して行った。
何度訴えても受け入れない夫・・
そのうち「生活費」の話になれば「足りない!」「そんなはずはない!まだ 贅沢だ」と言った感じの壮絶な 相容れない闘いへと変貌して行き、
その度に諦めの境地に陥るのだが
それでも 最初の10年ほどは
『まぁ いいか・・話したんだから・・話せたんだから・・・
少しは気持ちが伝わっただろう。きっと これからは変わってくれるはずだし、変わってくれなきゃおかしい・・』と・・・・・・
自分の心で話し合ったときの時間を振り返っていた・・
会議の最中 夫は至極当然のように「大義名分」を持ち出し まるで<聖人君子>のような自分の姿を家族に見せるのだが、
話し合いが終わると その「大義名分」とはまるで反対の顔を平気で覗かせる・・
その結果 話し合いを持つ度に 夫に対する「信頼」も「信用」も「期待」も徐々に失われて行った。
私達親子は 夫に対して一つの疑問を抱えたまま歩いていた・・
『なぜ 夫はあんなにカッコいいことを言いながら 実行しないんだろう』
その疑問は日に日に深まって行く・・・・・
そんなある日の休日
「ねぇ、ちょっと皆に聞いて欲しい事があるからこっちに来て」と、
また いつものように<家族会議>が夫の一声で始まった。
勿論
≪親2人が相容れない部分について 子供達の意見を聞きたい≫
が その主たる部分の<はず>だった・・
「生活費不足」の私にとって もう限界だった
外にアルバイトに出かけることは私にとって とても刺激的で楽しいものであったが
なぜか 私は主婦業の手抜きも出来ず、毎日 朝食作りから始まる今までの主婦業にプラス外での仕事の為にてんてこ舞だった。お金の面での生活自体は落ち着いてきたが、私の補填を当て込み、夫自身の生活はどんどん堕落して行く様にしか見えなかった。
≪賭け事≫・≪女遊び≫ ・・
ここ数年 夫は同僚からのお誘いがめっきり減り、一人でのストレス発散行動が目立つようになっていただけに、私が「内助の功」としてサポートしている事にどこか不満も溜まっていたのも事実である。
夫は また いつものように言葉巧みに妻を画策し始め
そこは 夫婦2人のバトルの場となった・・
それを黙って見ている子供達・・・・
それからどれ程時間が経過しただろう・
夫が突然、子供達に向かって
「黙ってないで、皆はどう思うのか聞かせて?」と
形勢不利になりかけた時に意見を求めた。
少しの沈黙の後、
「確かにママは大変だと思うよ」と長男
すると 夫が
「それなら 皆でママのバックアップしないとダメだろう」と・・
「う~~ん ・・そうだけど・・」・・
すかさず
「じゃぁ、明日から早速 電気メーター、ガスメーターの数字をチェックしよう!アッそうだ!これが好い!これに決めよう!イや・決めた!」と矢継ぎ早に話を終結しようとし始めた
子供達は「・・・・・・・・」私は「?????」
その上 夫は私の目を見て話し始めた
「じゃぁ そのメーターを記録するのをママ達 女性側の仕事として頼むよ」と。
驚いた私は
「何でパパが言い出した事を私達に押し付けるの?
自分が言い出したんだから まず 自分でやってみたら?」と言うと、
「別に押し付けた訳じゃない。貴女が生活費に困ってる・と言うから 皆でこうしてわざわざ集まって会議を開いているだけで、それこそ 貴女がもっと積極的に協力するのが当然なのに・ふぅ~ん;貴女は全く協力する気は無いんだね!呆れたよ!」と・・
それを聞いた長男が
「じゃぁパパ、僕もパパと一緒にやるよ」と。
それを聞いた夫は困惑した顔で
「みろよ・長男は協力的だよな!貴女は やりもしない内から、出来ないグチばかり吐くだけだよ。ホント、情けない人だ。」と・・・
私はその時点で 既に夫がやらないことを確信していた。
夫は過去一度だって 自分が発言した厄介事を解決する為に何かを実行に移した事は無かったからだ。
その翌日、夫の行動に皆が注目していた
しかし・やはり;
その日も その次の日も、夫は全く行動に移そうともしなかった。
痺れをきらした長男が1週間後、
「パパ、いつになったらメーター計るの?僕 いつでもいいよ」
と声をかけた・・・が、その声掛けに対し
夫は<完全無視>を決め込み、それ以後一切、その事に触れることさえなかった!
長男はこの時 初めて父親の実態に失望し、2人の子供達も同じように感じていた。
子供は 日々成長する
その子なりに 他所の家庭と付き合いが始まり、社会性が生まれ、結果、自分の家庭を比較するようになる。
子供達には<当たり前>だった我が家のルールが、社会との繋がりが出来るにつれ 小さな疑問の<何かがおかしい>が <違和感>として感じ始め、その違和感は 子供達が成人した時点で
「我が家はおかしい!」とはっきり言えるまでになった。
夫の「ごまかし」・「まやかし」・「摩り替え」・「投影」・「同一化」
この全てが
家族の長年抱えてきた悩みの根源だった。
そして その大元が 事もあろうに 家族が「信じよう」と必死に言い聞かせていた一家のアルジ・・【夫】だった・・・・・
結局夫は 私達家族を、都合よく利用しただけ;
そして 私は 夫の都合の好い相手として利用されて来ただけに過ぎなかった・・
【尽くせば尽くすほど 自分の価値を下げて行く】・・・
誰が そんなことに気付くだろう
身を削ってでも夫がやれない事を補って来た妻に対し 本来なら
「ママ、いつも有難う」と帰って来ると思うし、それが当然の事として私にはあった・・
しかしその頃の夫は私に対し 更に悪態を繰り返し
「貴女は2流の女中以下!」と言う言葉を平然と使うようにさえなっていた。
「なぜ?」「どうして?」
毎日 卆なく 主婦業をこなしてきた私が 事もあろうに
一番自分を認めて欲しい相手から見下される・・??・・
夫の口から発している言葉を「事実」として受け入れ、
その場で対処しなければならなかったにも拘らず、
その言葉とその時の夫の全てを認める事が出来ず・・・
いつも通り <その時々のものだろう>・と受け流してしまった・・・
私は 夫の「飴とムチ」を見極められなかった為に、その言葉さえ
一時の苛立ちの表現として流してしまい 夫の真意をキャッチ出来なかった。
<夫の異常>に気付いたのが此処数年・・
しかし夫が「人格障害」と解った途端、思わず泣き崩れてしまった・・傍目も気にする余裕も無いまま 声をあげ・・・
頑張っても頑張っても私を認めてくれない夫への要求に この27年間 必死で応える事が夫への最高の愛情表現だと疑わなかった自分に対する情けなさでもあった;
・・夫には「相手」がいない・・
周りにいる人間は <自分にとって都合のよい道具>に過ぎなかった。
結局夫は「妻」という鏡に写った「どうしようもない自分」に怒っていただけ・・
そう捉えれば全ての謎が解ける・・
今、 一つ一つ夫という人格が私の目の前で剥がされて行く・・
まるで メッキが剥がれて行くように・・・・・
罵声を浴びせる内容も・・突然豹変する夫も・・
全て 自己コントロールの効かない自分への苛立ちに過ぎなかったのかもしれない・・
イや・それは奇しくも「立派な男」・「立派な夫」「カッコイイ父親」という夫が理想とした「男」の壁にぶち当たり、乗り越えきれないコンプレックス・口惜しさだったかも知れない・・
どのような理由であれ それら全ては自分自身が持つ心の葛藤であり、他者に投影し解決されるものではない事が 夫には理解出来ないのだ。
それでも 私が耐え続けられたのは
「夫の妻」
「良妻賢母」
「子供が巣立つまで・・」
「いつか治ってくれるかも・・」という 淡い期待と、
「私が直してみせる」という思い上がった自分も存在していた為だった・・・
そして その全てが無駄だった・・・と・・・・・
認めたくない自分と 認めざるを得ない自分・・
更に 少し冷静に周りを見渡したら 夫の両親も・夫の妹も
同じ精神疾患の人格障害者だった事にも気付いた・・
もはや疑いを解く事も、その必要もなかった;
私に残された道は 【一刻も早くこの家から脱出する事】
それだけだった;
【 慰謝料 】
涙を流して傷ついた心の治療代です。
泣き寝入りせず、流した涙の分・傷付いた心の痛み分
しっかり請求して行こう。