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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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涙を流して傷ついた心の治療代です。
泣き寝入りせず、流した涙の分・傷付いた心の痛み分 
しっかり請求して行こう。

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このような人格障害者は何処にでもいる・・
「お金」という魔力に取り付かれ支配された人たち...
権力を手に入れ 人を指差して生きている人たち...
[人]という文字を一文字で書ける と思っている人たち・・

[ 人生は自分の為だけにある] ・と信じて疑わない人たち・・

この人たちに共通する特徴としてあげられるものが
 
「ハネムーン期」
「平穏期」
「危険期」
「爆発期」
と この4サイクルで生きていること。
 
ハネムーン期は人目も憚らずイチャイチャ。
しかし、危険期に入るとちょっとしたことが攻撃材料になる。
爆発期は そこに「何かがある」だけで 許せなくなり
突然喚き散らし・物を投げ・終いには家族に突然襲い掛かってくる;;
 
私は夫の異常さを疑問に思いながらも それでも尚、
夫に見切りをつけきれなかった
今となっては それすら 信じられないのだけれど・・・

夫の「飴とムチ」の巧妙な使い分けだと理解するまで続いた・・。
 突然激怒する夫・・
そしてその数時間後 ・・
突然豹変した赤鬼の顔は見る影もなく・・
静かで大人しい・・
そして物腰の穏やかな、おっとりした夫がそこに居る・・

私は<もうダメだ>という思いをいつも胸にしながら、
穏やかになった夫に静かに話しかけることの繰り返しだった。
「もう 別れよう・・」と・・

すると 夫は その時は静かに黙って私の話に耳を傾けている様に見えた・・
そう・いつも同じ事を・・・・・どれだけ繰り返しただろう・・・
その繰り返しの学習を私も学ぶことが無かっただけ・・・


夫はその度に『悪かった』という姿で私の前に居て、更に 言葉で
「もう少し心の広い男になれるよう努力するから もう少し一緒に私と歩いてくれないか・・」と・・・
それでも尚、「別れよう」と言う私に 夫は決まって
「本当はママにはいつも感謝してるんだよ・・言葉に出して言わないだけで・・・」と・・
その言葉を涙でクシャクシャになりながら黙って下を向き聞くだけの私・・・
そして『今度こそ、きっと分ってくれた』と信じる・・・・・信じたかった・・
そして また 道を共にする・・・・・・・・・

 爆発後の夫は 今までのハネムーン期には見せなかった形を取るようになり、夫婦二人で旅行に出かける回数を増やすようになった・・
 
確かに その表面だけ見れば贅沢をしているように傍からは見えるだろう
しかし、子供達が親のスネをかじっている段階では けして家計が安定した訳ではない。

結局 私の望む生活の基盤は私のバイトで補う事となり、多くの話し合いも、家計簿を見せての抗議も、全ては夫の心には届かなかった。

なぜなら 夫にとっての「大儀名分会議」は「アルジ」対「奴隷」としての位置づけあってのことだったからこそ
「家計費をあげればきりが無い。贅沢を押さえて その分 旅行に行く、というようなメリハリが大事だ」・・・・・
と・打開案は夫の一方的意見で終結されて来たのだ。


なぜ そうなるのか・
原因は至って簡単

「私が旅行に行きたいから行く」
  ただそれだけのこと。
そこには自分以外の何者も存在してはいないのだから・・・

夫が家計費をプラスする事は「奴隷(妻)」に妥協したことになる訳で、
それ自体「アルジとしての沽券に関わる一大事」と捉える。

夫とすれば そんな面倒臭い事を受け入れなくても、
今の時点で何も不自由な事は無く、妻に料理を注文すれば要求どおり料理は出て来る訳だし、更に 気に喰わなければ罵声を浴びせれば、妻が次から自分の要求を呑むしかないのだから、後は「そんなの知らないよ」と言えば済むだけの事。

結局 今に譲歩しなければやれない話ではないし、夫自身が苦しむ事ではないのだから。

結局「心の広い男になれるよう努力するから もう少し私と・・」と言った言葉を支えに歩こうとしている私に対し 
夫は 
自分が変わるのではなく 私に「更に強い魔法の杖」を要求していただけ。

結果、耐えることの真意は≪より強靭な心を養え≫という事に他ならない。



 
 夫は「玄関と応接間」の生活
そして私は「土間」・・・・・
生活費は20万で全てやりくりするのが妻の仕事だ、と。

住宅ローン・教育費だけでも 軽く13万は出て行く・・
7万で家族5人の食費・雑費・医療費等をやりくりする生活・・

食べ盛りの男の子2人・娘1人、更にグルメを自称する夫の要求する料理を作る等 出来るはずも無く・・・・
夫のご機嫌取りの為だけに隠れてバイト・・・
しかしバイトが見つかると 今度はそこを突いてくる
「あれが出来てない」
「これも出来てないのに外で仕事するなんて・・」と・・

それを聞きながら
『誰も 好き好んで仕事に行ってるんじゃない!』と思いながらも口に出せない口惜しさ・・

どんなに訴えても 「貴女のやりくりの仕方が悪いだけ」と、
あの手・この手で話をすり替えてやり込められてしまう。

それでも尚 私が夫に食い下がると
「家計費を上げればきりが無い。それをやりくりするのがプロの妻としての仕事だろう」と切り捨てる。

『家庭もある部分 会社と同じ。
どんなに削減しても最低経費は削れない。今の状態は自転車操業ではなく 経営者自ら 会社運営をボイコットしているに他ならない。
もっとしっかり実態を見なさいよ!』
そう思いながらも 私は自由にならない現実に唇を噛み絞め
「私はプロなんかじゃない!」と一言 言い返すだけが精一杯。

そして ついに 一人一食117円という状況に立たされ、どうにもならなくなった私は 次男を背中におんぶしたまま宅急便の配達を始めた。
朝9時から夕方5時まで、自分の車を持ち込んでの仕事だったが、
幸いにも勤務地は近く、配達しながら子供が通う幼稚園の送迎は出来たし、その後 子供達は2人共 お友達の家で預かってもらえた。

しかし、次男は私が仕事を始めたその日から37.8度の熱を出し・・
でも、休む事は出来ず・・・
結局 仕事を続けている半月程、熱は下がらなかった・・・

諦めて仕事を辞めた次の日・・不思議な程熱が平熱に戻り
友達と首をかしげた。
本当はまだ ずっと続けたかった。
でも、子供の健康には変えらなかった・・・
まぁ、僅かな生活費補填ではあったが、それでも 一時的とはいえ当座の生活費の補足にはなった。

その頃からだったか、実家の母が心配し、
再度(新婚時代にも送金してくれた)お金を仕送りしてくれるようになった。

夫と毎回お金の事で闘うことを避けたかった私は その親の思いに縋った。
しかし、それにも限界がある。 
子供が小学校に入る頃には実家の状況も芳しくなく、
頼れる状況ではなくなった。

私は子供3人抱えながら、外に仕事に出る事を拒む夫の目を盗んで働きに出ることを諦め、この家で収入を得ることを考えなければならなかった。
そんな時 同じ幼稚園・小学校(その当時 夫はその小学校のPTAの会長だった)に通う男の子2人の親が離婚し父親と暮しているがサポートが欲しい・との話が来た。
<3人の子供+2人・・・>の状況を考え、難しいとは思ったが
背に腹は変えられずお引き受けすることにした。

それからの毎日は今まで以上に目まぐるしかった
その子の幼稚園のお弁当作り・送迎・午後は家でそのお兄ちゃんも相まって計5人の賑やか・かつ大騒動の毎日だった。

最初は夫に見つからないように・・と5時までの預かりだったが、先方の要望で9時まで預かることになり、
宿題・食事・お風呂入れ、9時になったら車で家まで送り・父親との連絡帳も忘れずに書いた。

それが結果として収入源となり生活も一気に潤い、夫にも生活費の嫌事を言わずに済むようになった。

そんなある日 幼稚園にその次男を迎えに行き 帰宅。
その後、キッチンで夕食を作っている私の方へトコトコと寄って来て 
小さな声で「・・・お母さん・・・」と恥ずかしそうに・・・

私は耳を疑ったが 余りの嬉しさに思わず手を止め抱きしめていた。
その時、お兄ちゃんがすかさず「何言ってるんだ。この人はママじゃない。ママは別のところにいるじゃないか」と横で言った。
けれど私は「いいのよね^^本当のママは別のところにいるからこっちはお母さんなのよ・ネ」と言うと嬉しそうに頷きながら笑って
私に抱き付いて甘えてくれた・・・・・

人とコミュニケーションすることの大切さ・・
どんな事があっても≪子供達にとって親の離婚は罪≫・という意識を 
この子達によって私は学べたし、
その時 自分の胸にしっかり刻んだのだと思う。

半年程経った9月のある日、夫が珍しく9時前に帰宅・・・
全て見つかり・・・・

その夜 私は夫から説教を受けることとなった・・・
最初は穏やかに話していた夫だったが次第にエキサイトし始め、
「万が一 何か盗られたらどうするんだ!」
「もし 火でもつけられたらどう責任を取るつもりだ!」

今思えばだが・ 
夫は黙って聞いている私に向かって話しているのだが、 
明らかに自分の発した言葉に酔い、更にその言葉に煽られ、
どんどん過激になって行ったように思う・・・

3時間・4時間・・5時間 時は既に午前2時をまわっていた
それでも「辞めます」と言わない私に対して
「そんなに私の言う事を聞かず 他所の子供の面倒が見たいのなら
この家を捨ててからやれ!」と・・・・・

私は その言葉で覚悟を決め
「解りました;この家を捨てます。
「あの子達は私を信頼して来てくれています。
それを いきなり <出来なくなった> など 私には言えません」と 
はっきり。

夫は私の言葉を聞き しばし無言だったが 
ちょっとして
「・・分った・・それじゃあ しょうがないなあの子達が大人になるまで 面倒見るか!と。
驚いた私は「本当なの??」と半信半疑で聞き返すと
「仕方ないだろ、貴女がやりかけた事だから」
その代わり 引き受けたからには成人するまで
自分の子供と同じ様に 躾をしなくちゃだめだよ
」と。
5時間以上かけた話しの結論だった。

それからの私は 伸び伸びとお世話係りを勤め、
幼稚園の運動会ではお母さん役もかって出た。

このまま全ては順調に流れるはずだった・・・


しかし それから3ヶ月経った年の暮れ・・ 夫に「都内転勤」が決まった
正にエリート街道まっしぐらの栄転のような感じだった
私は夫からその話を聞いた時「よかったね、おめでとう!」と
素直に夫を祝福した
しかし、その1週間後 夫はその全てを蹴散らし 福岡への転勤を願い出た。
「PTAの会長」責任も・・・ 
成人するまで預かるはずの子供達に対する私との約束事も・・
全て自分勝手に蹴散らして・・・・・

夫は結局 自分の事だけで精一杯だったのだ。 
時に
「私は貴女のお母さんは嫌いだ。あの人が一番の癌だ」と言う夫にどうやって親の話が出来よう・・
私が一言実家の事を口にすれば極論を持ち出し、最初から会話にすらならない。
そんな夫が ある日突然上司に嘆願書を送付・・・???。

車で出かけたその時に「これをポストに出してくれ」と言われ、私は普通に投函し「あれは何?」と聞くと、
「コピーしてあるから 後で見るといいよ」と。
その嘆願書コピーをその日の夜 夫から見せられて愕然とする私・・

・・・その内容が 事もあろうに 
「妻の両親の面倒を見たいので<福岡>で私のポジションを貰えないか」という全く理解する事の出来ないものだった。

夫は 今後の家族の運命に関わる大事な事を 何一つ相談することなく 自分ひとりの勝手な判断で実行する・・・?
まして その理由が「妻の両親の面倒を見る」??・・・・
私には納得出来ない事だらけだった。

それならば まず最初に、妻の私に相談するなり、実家に話をするのが筋というもの・・
それに 私の実家の近くに転勤願いを出すのが本当ではないか。

どう考えても その強引さを素直に「感謝」に結びつける事が出来ない。
まして、夫自らが以前私に話していた
『福岡の土地(ご先祖からの土地)に家を建て、そこに住むのが夢』の言葉を思い出した。
それを思い出すと
その夢を叶える為に私の親を出汁に使った としか思えない・・。
そんな「福岡への転勤願い」等、誰が喜ぶものか!

そこを夫に向けて話すと
「会社の事は私自身の事・一々貴女に相談する必要はない」
「貴女に話せば反対するに決まってるから・・」
と、全て切り捨ての会話に終始。
しかし、
都内の転勤を知らされた時
「異動先の上司が気に入らない」と ・・・
私にはその時点で暴露している。

更に今度は 私の親を上手く利用し、
まるで『親孝行を真剣に考えている好い婿』という姿勢で
≪調停委員への嘘八百≫・全く呆れてしまう。

周りと協調することが出来ず、自己利益の為だけに動こうとするから
会社で四面楚歌になった。

福岡転勤後 自分の思った状況(栄転のつもりだったから)が得られなかったからと 毎日出社したと思ったら社用車で帰宅し、5時近くなったら出社する・という生活を繰り返し・・・・・
更に思い通りに行かないウップンを全て妻に投げ、酒乱で暴力;

挙句、それでも耐えて来た妻や子供達の気持ち一つ汲み取る事すらせず、自分の都合よく周りを利用し 歩いて来たのです。

その貴方の「点行動」一つ一つを 一度「線」で繋げて見てはいかがですか。

そうすれば 貴方の好き勝手の結果が「今」此処に出た・という事が 判るでしょう。
妻に見限られ 更に子供達からまで呆れられ、
それでも尚 「私は正しい」と言われるのなら、
精神科 若しくは診療内科の門を潜るといい。

人生51年生きて来て こんなお粗末な結果を見ることが貴方の夢でしたか?
他人の心を蔑ろにし、「好き勝手」した責任は
≪一家の長≫として一番恥ずべき結果。

今こそ・
いつも貴方が口を酸っぱくして家族に言い続けてきた

「最後に責任を取るのは一家のアルジの私なんだよ!!」

その言葉通り
貴方の一方的な意志で家族崩壊させた「罪と罰」、
その責任を認識して頂き、
今後「アルジとしての責任」をどう取られるのか、
子供達と共に 最後まで見届けたいと思います。


夫と行く箱根の温泉は白湯・・・
思い出したくも無いけど どうしても そうなってしまう・・
 
会社の保養所が兎に角 私のお気に入りだった^^!
各部屋に露天風呂があって源泉かけ流し。
別塔には家族風呂数個・
更に大浴場から絶景の富士山
 
お風呂を出ると 各自一人ずつにボーイが付いて・・フランス料理・
フレンチとか・・兎に角 至れり尽くせりの完璧な対応をして下さるの。
 
夫の両親は毎年年末から箱根プリンスに1週間ほど泊まり、結構満足してたけど、保養所に泊まって驚いてた。
まぁ それでも プリンスの方が好かったみたいだけど^^;
 
夫と別居して一番苦しいのは 家とその保養所に行けなくなった事・・
 
夫は今年の1月まで 私に「妻」を求めていたのではなく「彼女」としての私を要求していた
でも 私は もう 疲れてしまった・・・
 
毎年毎年繰り返される「ハネムーン期」から始まる「暴力期」までの4サイクルを 時が過ぎるのをただ じっと子供達と耐え続ける事に・・・・・
 
夫は2月 爆発して3日後、 「箱根に行くから」と 当たり前のように誘ってきたの・
でも、もう 私の心は・・ボロボロだった・・・
 
夫は 自分の言う事を受け入れない妻が理解出来ないようで
何度も聞き返して・・
 
でも、
「一人で行ってきて」  って言うのが精一杯・・
 
夫は「分かったよ!」とプイと出て行き・・その後 ネグレクトが激しくなったの・・
 
私はいつでも 夫の道具でしかなかったし、夫はいつでも
「玄関と応接間」でしか 生活できない人だった・・
 
だから 「お金が無い」なんて 言おうものなら激怒。
そりゃそうなのよ・・自分は1000万を軽く超えた収入があったし・・
でも 私に渡す5人の生活費は200万ほど・・
 
だけど 自分が裕福だから 妻も 当然裕福だと 思ってるし、
裕福な生活をさせてると信じて疑がわず・・
勿論 私が隠れてパートで補填してきた事等 信じるわけも無く・・・
 
夫にとっての家族って 自己エゴの象徴だったのかもしれない・・って ・・
 
子供(長男)は父親に先日「絶縁状」を送った・・そして、長男は意気消沈してる
 
なぜ こんな結果になったのか・・
私は息子達に「立派な父親」として印象付けてきたから、ショックは隠せなかったのだろう・・
だから 今の亀田親子を見ながら 悲しくなる・・
 
理不尽な要求が如何に周りを傷つけ、更に 自分が生き易い影には
ある部分 誰かの犠牲が伴っている事を 一人ひとりが認識する事
が 一つ屋根の下で他人同士が夫婦として暮らす暗黙の了解なのではないか・と 思います。

対策

掲載日:2007年10月23日

理想の実現化に向かって

「理想」と言うものは自分に与えられた範囲で やり遂げられそうである事とない事を
比較できる範囲を知る事から始まります
与えられた時間の範囲内で 受け入れられるものを受容し消化しながら 自身と向き合いながら自己実現への道を模索していきます

①自分を悩ませていた10年前の理想
②自分を悩ませている今の理想
③同じ問題について10年前行った事
④同じ問題について今行っている事
⑤それに関して今後10年、自分はどのように成功するだろうか という想定。

モラ分析

マズローの基本的欲求での自己実現にもあるように 自己実現には自己欲求を貫く信念と
それを支える土台の屈強さが求められるが、その土台は自分自身で作ることが最も大切な要素になる
しかし 自己実現の先にある自己超越まで到達する人が稀であるのは何故だろう
それは 自分の基礎を<他者依存>で築いてしまった事に気付かなかった愚かさではないだろうか

元々 彼らの多くは人の為には手を貸さない。
それに対して 自分の周りの誰かに対して要求・要求・また要求の
口の嵐である

彼らは出来上がった家を眺めて「私が建てた」と豪語するが実際建築した人は その家の建築に当った大工さん他の他人である。

彼らは指先だけで他人を動かし・結果として出来上がったものを評価の対象とし、評論家になり、自己優越に浸る。

彼らは「自分」と「他人」の境界線がない。
特に「悲しい」といった表現に乏しい

彼らは 自分が同じ事を言われたり、されたりすると どういった感情が湧くか・が理解出来ないし、相手の立場を理解する能力に欠けている

だから どんな無謀な要求も どんな粗暴な言葉も 自分だけは特別である事を常とし
その生活形態を常識とする。

極論から言えば 彼らは人殺しをしても「私はやっていない」と嘘も平気でつけるが、これは彼らの頭の中に「人殺しの自分」が事実存在していないのである。
結局 「私に限って間違いなど有ろうはずもない」の信念でいる彼らにとって
「間違い」はあるはずもないし、そのような自分が存在する事は許されない。

だから「都合の好い自分」で生きて行く為に 彼らは常に[他人に非を求める]

このような彼らに<絡まれた>相手は四六時中精神を蝕まれるし、それによって体内異常を来たすが、それでも尚 その場から離れられないのは
彼らの「飴と鞭」の使い分けの妙技を見分けられない愚かさと、幼い頃から与えられた自己意識の低さから<精神的マゾ>を常としている部分にあるように思う。

対処その①

彼らに嫌われる唯一の方法は
 
  ≪同じ事をして返す≫   

  【これに勝薬なし】

私は ここ数年 これを実践してきた
夫は一つ要求し、その一つに「プラスα」がつく事を必ず期待したし、同時に私もそれを潜在意識で受容して来た
それは 私自身が夫に応えてしまった結果であり、夫に過剰なミルクを与え過ぎた結果とも取れた。

離婚の二文字を頭に刻んだ時、私が一番に思い描いたのは「脱出・その時」だった。
その時にどうなるか・を想定する事
長く遠い未知の世界だったが、諦める訳には行かなかった。

「話し合わない」を基本に・・
「見ざる・聞かざる・言わざる」

一切を切り捨てる覚悟で・・・



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