<00家の墓>制度
掲載日:2007年10月21日
この国は仏教国・・
それ故 「墓」=「家」意識が根底にしっかり根付いている。
勿論 それが問題なのではない
それに関わるそれぞれの意識の問題・・
年長者にとっては 特に身近に これから先(未来永劫)お世話になる場所としての思いもあり
また 我々も 日々合掌しながら御霊と相対し、元気に生かされている今に感謝申し上げる神聖な場である。
しかし、昨今の日本の離婚率の高さを見るにつけ<00家の墓>に対する意識の希薄さがはっきりと見えて来る。
私は幼い頃から信心することを親から特に教わった事もなかったが、当たり前のようにお盆は<迎え火>と<送り火>で先祖を意識する事を学んで来た。
<00家の墓意識>と「女」としての位置付けを・繰り返し・・
そして 「女としての意識」を<親から受け継ぎ> あの家に嫁いだ・・・
<夫(オス)>対<嫁>
私は夫と結婚した。そして子孫を産み育てる間に自然と妻から嫁となった
かたや夫は この30余年「楽しさの追求」という「男のスタンス」を一切変えることなく生きていたように思う。
あの頃の私は子育てと夫と接待と・・・
毎日30時間でも足りない・と思う程忙しく
自分の中の「母・妻・嫁・女」の「母」と「妻」をこなすだけで精一杯だった
そんな自分の無い生活を送っている私に対し、
夫は追い討ちをかけるように「呑む・討つ・買う」挙句「暴力」・・
聞けば話を逸らし、妻のミスを探し出し
「あれが出来てない」「これも出来てない」「何一つやってないじゃないか」と
段々顔色が変わり始め・・「何だと!」と言い終らないうちに いきなり私の胸倉を掴む。
一度興奮すると手がつけられない・・
昼間 急に大声を上げて豹変した夫の声が聞こえると 舅が慌てて電話して来る
「貴女が居ると益々狂うからこっちに来ていなさい。時間が経てばそのうち治まるから」と。
舅は言う
「まぁ 一種の病気・だと思えばいい。ストレスの発散口がないから貴女に当ってるだけだ」と。
そうやって「事なかれ主義」で子供の「甘え」と「甘やかし」の差をいい加減にしてしまったつけを「妻」という他人が肩代わりしている現実をただ黙認する親。
夜遅く帰宅してから 溜まったストレスを酔った勢いでネチネチといたぶるように嘲る。
その頃の私は 子育て真っ只中・・乳飲み子を抱えながら・・
寝る時間もないままに「会議」と言う<大儀名分>を翳す夫のストレスのはけ口として
一方的意見を ただ「受け入れろ!」・・それに対し私は聞き流す・・その繰り返し・・
一言意見しようものなら 夫の逆鱗に触れ もっと手がつけられなくなる
夫としては「子供より少しでも僕に対する愛情が多ければ許す」が前提だったから・・・
「羨望」から「嫉妬」までなら関係を壊すほどには至らない・・
しかし 夫は私に対する「羨望」を自分のモノにしようと躍起になった結果
それを自分の所有にすることが出来なかった為に「憎悪」に摩り替えてしまい
結果として私に罵詈雑言を常とし人格否定を始めた
その頃を振り返って思うのは 夫は常に私に向かって「下僕」を求めていたように思う。
だからいつも口癖のように
「女は、亭主に3歩下がって黙ってついてくればいい!」だの、
「所詮 女は旦那を煽てたその後ろで舌を出しながら 都合の好いお金をせしめていればいいんだ」だの、
「男はバカだから おだててさえいれば 女の望みどおりになる」等・・・・・
夫にとっての「女」とは 実母のように夫に口先だけで「ハイハイ」と言いながら
実のところ何もせず 強かであれ・ と言っているのだろう
だから 夫はその言葉の最後に 必ず
「私の母親を見ていればわかるだろう・・」と・・・
その頃の私は 自分なりの「良妻賢母」を目指していた
料理は全て手抜き無く30種の材料を使い、毎日毎食 献立を替え、
どんなに遅くなろうとも夫の帰宅を待ち、帰宅後 夫が食べるものを注文されても
望みどおりの品を手早く作り、更に夫婦としての求めを一切拒まず・・・
そんな自分の無い生活を日々繰り返す・・
それが私流良妻賢母だった
しかし、夫はそれでも不服らしく「あれが出来てない」「これもやりなさい」と
次から次に要求し、その要求は留まることなく続く
そして 回らなくなった私を見て蔑む・・
夫が求めていたもの=「母なるもの」
しかし その当時の私はそんな夫を 受け入れることも・理解する事も出来ない
グチャグチャなまま、時を受け入れるしかなかった・・
「母」・その宇宙
30年を超えたある日
「夫を近々お返しするかもしれません・・」と 姑に話した。
突然の私からの話に驚きながら・・
嫁姑問題などほとんど何も無かった2人・・
(と思っているのは 私だけかもしれないが・・)
「またぁ~~;冗談ばっかり」と一笑されてしまったが・・
私は すんなりと「いえ・・本気です」と。
姑「・・・・・」
そして・
「貴女は(夫)に対してちゃんとやることをやってきたからそうやって堂々と意見を言える・・でも私は学校出たばかりで パパのお嫁さんになったから 何も出来なくて・・
言い争っても到底勝ち目が無いと諦め、結婚2年で黙って従う事に決めたのよ・・
それ以後 一度もパパに意見したり抵抗した事は無かった・・だって そんな事したら手がつけられないんだモノ!今でこそ あんなに大人しくはなったけど・・私は貴女のようなパワーが最初からなかった・・」と・・・
そして
「でも、それで良かったかどうか・・娘も離婚し、今度は貴方達もそうなったら 私達の子育てが間違ってた・と 思うしか無いわね・・」と。
私はその言葉に 何も返せなかった・・・
確かに貴方達が育てた2人の子供は<人格障害>であり・それは同時にあなた方夫婦が基本にある・という事実を否定出来なかった・・。
その夜 いつものように夫は「亭主関白」と思い込んでいる「人格異常」を
全面に打ち出し、徹底的に私の仕草一つを蔑んで来た
私はその一連の苛立ちを煽るように 一言
「お母様の元にお帰りなさいよ」と言い残し自室へ篭った
その言葉に激昂した夫は「操縦不能の妻」を
「フン・私と対等だと思うなよ」と・・
「何も出来ないくせに」から始まり
「能無し」
「低レベル人間」
「2流の女中以下」
「貴女のような無能なやつは生きてる価値も無い、私だったらとっくに死んでるよ」
「もう・貴女は使えない」
「生きているだけで恥さらしだ」など・・
その言葉を繰り返しながら・・・「ネグレクト」・・
そして ・・その言葉に何の感情も覚えず ただ黙って黙視する私。
此処に載せられない言葉だらけ・・
しかし 今思うと夫は
私が自分の望む<道具>として使えなくなったことが口惜しかったのだ・と・・
ある休日、
「オリビアを聴きながら」が部屋に流れた(夫そのものを象徴する歌だった)
夫はジッと聴き入り・・そして まるで口惜しさを押し殺すように・
「貴女も00のプロなら、私一人くらいどうにでもなるだろう!?」と絞り出すような声で叫んだ ・・
その言葉を無言で聞きながら
『治るものなら・・どうにでもなるのなら・・ 既に手は打ってる・・ 』と...
成す術の無い空しさと情けなさで 堪らずトイレに駆け込み泣き崩れた...
『これ以上 私に何を望む?』と心で叫びながら・・
私への依存を断たれ 生きる術を失くした夫は
外での女性で気を紛らわし、悪びれる事なく女の話を公言するようになった。
しかし望む「依存者」には出会うことなく・・
結局 行き場を失くした夫は、母親に絡み・・≪べったり母親依存≫となった。
その光景を眺めながら『もっと早く 親元へ返してあげればよかった・・』と・・
夫が求めていたもの≪母なるもの=安らぎ≫
その根底にある≪賞賛≫だったろう事も・・・今なら解る。
夫はやっと基本に戻っただけ。
そして 私は夫という一人の人間を一時的に姑から預かっただけ・・
・・素直にそう思う。
これをマザコンと一言で言ってしまえばそれまでだが・・・
きっと 夫も生き苦しかったろう
男としての「自立」も「独立」も・・これら全ては 母に「立派な息子像」を見せたかっただけ・・
その後ろで「妻」という<代替>に対し 一番見せられない醜い自分を吐き出しながら・・・
そして醜い自分を見せることが私に対してどういう意味を持つかも 私は理解している。
これからは 私との過去を振り返ることなく
今存在する最も一体化したい像から
片時も離れることなく所属しながら悔いの無い自分を生きて欲しい。
そして 何時の日か ご先祖の御霊となった母を慕いながら
傍で優しく寄り添う誰かに 心を委ねる日が来る事を今の私は願っている。