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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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「モラ夫」対「妻」

掲載日:2007年10月23日

自我への目覚め

この30余年 毎日、頑張っても頑張っても上手く行かない自分の姿と戦っていた。

夫は私を卑しめる立場であり、私は卑しめられる立場であった。
私は不快な気持ちを抑圧して関係を続けた
二人ともそれぞれの立場を当然の事として・・

そして 今、私は色々な経過を経て<抑圧>の取れる時が来た。
もう、夫にお世辞を言わなくて良い事を確信している

小さい頃愛されなかった人は、暖かい心の交流を求める。
それを求めるが故に、どんなに卑しめられても、交流を絶つ事が出来ない。
だからこそ、今 必要な事は
私が不快感を持ちながらも当然として受け入れてしまっている人に
<自己主張>することである

それは断じて当たり前のことではない・それはおかしい事なのだ。
それに向かってハッキリと「NO」と言う事である。

真の良心は他人を愛するところから生まれる。
私の罪悪感は人を恐れるところから生じてきたものに過ぎない。

私は「その人」(夫)を切り離しても良いのだ
私にとって重要な「その人」を私は切り離すことによって 自分を掴めるのだ。

他人に卑し(いやし)められて生きて来た人は、自分を卑しめる人間の不当で 且 身勝手な要求に「NO」と言う時、強烈な罪悪感を覚える。
そのような人は<利用される事>と<搾取される事>が習慣にまでなってしまっているのである
この習慣に逆らう事から始めない限り、自分が生きることに快適な感情を味わうことは無いであろう。

その為には 今まで自分の周りにいた人と別れようとすることである。
そして 今までは「思っても見なかった人」と付き合いを始める事であろう。

今までの人と別れても、また 次に同じような<支配型>の人間と付き合うのでは不快感から逃れる事は出来ない。

私がこれから見分けなければならない事、
それは
自分が<自分自身>になることを喜ぶ人と、
自分が自分自身になることを憎み、どうしても許せない人とを 見分けることである。

つまり、自分に嘘をついている人の持ち出してくる「大義名分」とは議論しない事である。

自分が強欲なくせに、イや・強欲であるからこそ 自他に無欲を誇示する

冷たい利己主義者だからこそ、「私は家族を愛している」と愛情を誇示する。

そしてその「フリ」に自分も酔っている
その人達は私や子供達の心をメチャクチャにしてしまう行為を「愛」と呼ぶ。

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<00家の墓>制度

掲載日:2007年10月21日

この国は仏教国・・
それ故 「墓」=「家」意識が根底にしっかり根付いている。
勿論 それが問題なのではない
それに関わるそれぞれの意識の問題・・

年長者にとっては 特に身近に これから先(未来永劫)お世話になる場所としての思いもあり
また 我々も 日々合掌しながら御霊と相対し、元気に生かされている今に感謝申し上げる神聖な場である。

しかし、昨今の日本の離婚率の高さを見るにつけ<00家の墓>に対する意識の希薄さがはっきりと見えて来る。

私は幼い頃から信心することを親から特に教わった事もなかったが、当たり前のようにお盆は<迎え火>と<送り火>で先祖を意識する事を学んで来た。

<00家の墓意識>と「女」としての位置付けを・繰り返し・・

そして 「女としての意識」を<親から受け継ぎ> あの家に嫁いだ・・・

<夫(オス)>対<嫁>

私は夫と結婚した。そして子孫を産み育てる間に自然と妻から嫁となった

かたや夫は この30余年「楽しさの追求」という「男のスタンス」を一切変えることなく生きていたように思う。

あの頃の私は子育てと夫と接待と・・・
毎日30時間でも足りない・と思う程忙しく
自分の中の「母・妻・嫁・女」の「母」と「妻」をこなすだけで精一杯だった

そんな自分の無い生活を送っている私に対し、
夫は追い討ちをかけるように「呑む・討つ・買う」挙句「暴力」・・

聞けば話を逸らし、妻のミスを探し出し
「あれが出来てない」「これも出来てない」「何一つやってないじゃないか」と
段々顔色が変わり始め・・「何だと!」と言い終らないうちに いきなり私の胸倉を掴む。

一度興奮すると手がつけられない・・

昼間 急に大声を上げて豹変した夫の声が聞こえると 舅が慌てて電話して来る
「貴女が居ると益々狂うからこっちに来ていなさい。時間が経てばそのうち治まるから」と。
舅は言う
「まぁ 一種の病気・だと思えばいい。ストレスの発散口がないから貴女に当ってるだけだ」と。

そうやって「事なかれ主義」で子供の「甘え」と「甘やかし」の差をいい加減にしてしまったつけを「妻」という他人が肩代わりしている現実をただ黙認する親。

夜遅く帰宅してから 溜まったストレスを酔った勢いでネチネチといたぶるように嘲る。
その頃の私は 子育て真っ只中・・乳飲み子を抱えながら・・
寝る時間もないままに「会議」と言う<大儀名分>を翳す夫のストレスのはけ口として
一方的意見を ただ「受け入れろ!」・・それに対し私は聞き流す・・その繰り返し・・

一言意見しようものなら 夫の逆鱗に触れ もっと手がつけられなくなる

夫としては「子供より少しでも僕に対する愛情が多ければ許す」が前提だったから・・・


「羨望」から「嫉妬」までなら関係を壊すほどには至らない・・
しかし 夫は私に対する「羨望」を自分のモノにしようと躍起になった結果
それを自分の所有にすることが出来なかった為に「憎悪」に摩り替えてしまい
結果として私に罵詈雑言を常とし人格否定を始めた

その頃を振り返って思うのは 夫は常に私に向かって「下僕」を求めていたように思う。
だからいつも口癖のように
「女は、亭主に3歩下がって黙ってついてくればいい!」だの、
「所詮 女は旦那を煽てたその後ろで舌を出しながら 都合の好いお金をせしめていればいいんだ」だの、
「男はバカだから おだててさえいれば 女の望みどおりになる」等・・・・・
夫にとっての「女」とは 実母のように夫に口先だけで「ハイハイ」と言いながら
実のところ何もせず 強かであれ・ と言っているのだろう

だから 夫はその言葉の最後に 必ず
「私の母親を見ていればわかるだろう・・」と・・・


その頃の私は 自分なりの「良妻賢母」を目指していた

料理は全て手抜き無く30種の材料を使い、毎日毎食 献立を替え、
どんなに遅くなろうとも夫の帰宅を待ち、帰宅後 夫が食べるものを注文されても
望みどおりの品を手早く作り、更に夫婦としての求めを一切拒まず・・・
そんな自分の無い生活を日々繰り返す・・
それが私流良妻賢母だった

しかし、夫はそれでも不服らしく「あれが出来てない」「これもやりなさい」と
次から次に要求し、その要求は留まることなく続く
そして 回らなくなった私を見て蔑む・・

夫が求めていたもの=「母なるもの」

しかし その当時の私はそんな夫を 受け入れることも・理解する事も出来ない
グチャグチャなまま、時を受け入れるしかなかった・・

「母」・その宇宙

30年を超えたある日
「夫を近々お返しするかもしれません・・」と 姑に話した。
突然の私からの話に驚きながら・・
嫁姑問題などほとんど何も無かった2人・・
(と思っているのは 私だけかもしれないが・・)

「またぁ~~;冗談ばっかり」と一笑されてしまったが・・
私は すんなりと「いえ・・本気です」と。
姑「・・・・・」
そして・
「貴女は(夫)に対してちゃんとやることをやってきたからそうやって堂々と意見を言える・・でも私は学校出たばかりで パパのお嫁さんになったから 何も出来なくて・・
言い争っても到底勝ち目が無いと諦め、結婚2年で黙って従う事に決めたのよ・・
それ以後 一度もパパに意見したり抵抗した事は無かった・・だって そんな事したら手がつけられないんだモノ!今でこそ あんなに大人しくはなったけど・・私は貴女のようなパワーが最初からなかった・・」と・・・

そして
「でも、それで良かったかどうか・・娘も離婚し、今度は貴方達もそうなったら 私達の子育てが間違ってた・と 思うしか無いわね・・」と。
私はその言葉に 何も返せなかった・・・

確かに貴方達が育てた2人の子供は<人格障害>であり・それは同時にあなた方夫婦が基本にある・という事実を否定出来なかった・・。


その夜 いつものように夫は「亭主関白」と思い込んでいる「人格異常」を
全面に打ち出し、徹底的に私の仕草一つを蔑んで来た

私はその一連の苛立ちを煽るように 一言
「お母様の元にお帰りなさいよ」と言い残し自室へ篭った

その言葉に激昂した夫は「操縦不能の妻」を
「フン・私と対等だと思うなよ」と・・

「何も出来ないくせに」から始まり
「能無し」
「低レベル人間」
「2流の女中以下」
「貴女のような無能なやつは生きてる価値も無い、私だったらとっくに死んでるよ」
「もう・貴女は使えない」
「生きているだけで恥さらしだ」など・・
その言葉を繰り返しながら・・・「ネグレクト」・・ 

そして ・・その言葉に何の感情も覚えず ただ黙って黙視する私。

此処に載せられない言葉だらけ・・

しかし 今思うと夫は
私が自分の望む<道具>として使えなくなったことが口惜しかったのだ・と・・

ある休日、
「オリビアを聴きながら」が部屋に流れた(夫そのものを象徴する歌だった)
夫はジッと聴き入り・・そして まるで口惜しさを押し殺すように・
「貴女も00のプロなら、私一人くらいどうにでもなるだろう!?」と絞り出すような声で叫んだ ・・

その言葉を無言で聞きながら
『治るものなら・・どうにでもなるのなら・・ 既に手は打ってる・・ 』と...

成す術の無い空しさと情けなさで 堪らずトイレに駆け込み泣き崩れた...
『これ以上 私に何を望む?』と心で叫びながら・・

私への依存を断たれ 生きる術を失くした夫は 
外での女性で気を紛らわし、悪びれる事なく女の話を公言するようになった。
しかし望む「依存者」には出会うことなく・・

結局 行き場を失くした夫は、母親に絡み・・≪べったり母親依存≫となった。

その光景を眺めながら『もっと早く 親元へ返してあげればよかった・・』と・・

夫が求めていたもの≪母なるもの=安らぎ≫
その根底にある≪賞賛≫だったろう事も・・・今なら解る。

夫はやっと基本に戻っただけ。
そして 私は夫という一人の人間を一時的に姑から預かっただけ・・
・・素直にそう思う。
これをマザコンと一言で言ってしまえばそれまでだが・・・

きっと 夫も生き苦しかったろう
男としての「自立」も「独立」も・・これら全ては 母に「立派な息子像」を見せたかっただけ・・
その後ろで「妻」という<代替>に対し 一番見せられない醜い自分を吐き出しながら・・・
そして醜い自分を見せることが私に対してどういう意味を持つかも 私は理解している。

これからは 私との過去を振り返ることなく 
今存在する最も一体化したい像から
片時も離れることなく所属しながら悔いの無い自分を生きて欲しい。

そして 何時の日か ご先祖の御霊となった母を慕いながら
傍で優しく寄り添う誰かに 心を委ねる日が来る事を今の私は願っている。

モラルハラスメント・自己愛性人格障害者

掲載日:2007年10月20日

居場所の条件

モラ 独特の言い回しに振り回されヘトヘトになっている方もきっといらっしゃると思う。

そして・・
「私がまだ至らないから・・」
「私の努力が足りないから・・」
「私さえ我慢すれば・・」

そう思って我慢し、ポジティブに受け止め、懸命に相手の要求に従う・・
しかし 一向に改善されるどころか どんどん要求は過酷に成るばかり・・

「何故、夫自身は何もしないのに 私にはこんなに要求が多いのだろう」
「何故、こんなに不平ばかり私に言うのだろう」
「何故、私の全てを否定するのだろう・・」

この「何故?」に疑問を持たれたら 一歩前進。
そこで 立ち止まらないで下さい

「あなた自身の為」に。

「機能不全家庭」の中で育った子供達は 必ず 何かしらの問題を抱えています。

その一つに ≪親にとっての好い子を演じる子供達≫ があります。

親の「過保護」「過干渉」から成る「特権意識」で育った結果の「俺様論者」・・


かたや
「私は親から虐待を受けていた」
「私は親から愛されていなかった」
「私の親には問題があった」
「私の育った家庭は<普通の家庭>ではなかった」・・

といったような愛情飢餓状態で大人を生きている人たち・・

その事実を認め・受け入れるには、とても大きな決断が必要です。

ですが、胸を痛めてでも事実を直視することで 
一つずつ 心の傷(トラウマ)から脱出する事に繋がります。

いつかのあなたがそうであったように・・・ 
同じ苦しみを次世代の子供達に伝達しない為に・・・

幸せとは<誰かの犠牲の上に成り立つもの>ではなく、
<相互に支え合う心のバランスから生まれるもの>だと・・・

モラの居場所

掲載日:2007年10月20日

生き方

夫には一年のサイクルの中で 身近な人間に見せる4つの顔があります

*ハネムーン期
*開放期
*緊張形成期
*暴力期

これはDV加害者特有の現象ですが、ごく普通に生活している人たちにとっては 
こんな人間が存在し、更に なぜ そのような人と一緒に暮らしているのか・理解し難い ことと思います
また、第三者から見れば「好きで一緒に居るのよ」といったような妻側批判も加わります。

確かに・私達は好きで一緒になったのです
好きで一緒になったからこそ「諦めきれない」のです
だから「私が我慢さえすれば・・」と 一途に思い込むし 一途に奉仕してしまう

それは こちらに「自己卑下感」を植えつけてしまった<何か>が存在するのですが
どうしても自分の価値を自分で認めきれないその<何か>に囚われてしまった為に
現状を「相手に奉仕することで 自分を認めてもらおう」と躍起になる
その心理をモラやDV加害者は餌にしてくるのです

そこを理解さえすれば こちら側が餌食になることはなくなるのですが・・・
現実は「自分の命の価値」を自ら蔑んでしまう生き方を選んでしまう人たちがいます
それが 前回述べた「機能不全家庭」で育った子供達です。

「機能不全家族」とは

問題は「夫婦」となったその時ではなく 幼少期のその人・それぞれが与えられた家庭環境や周りの環境によって形成されています

今や時代は「お金さえあれば」の時代
だからこそ 親はお金の投資で 子供にデスクワーク教育を施し、
見事なまでに「秀才」を望みます

子供は親に気に入られたいが為に 必死(?)でお気に入りの仲間入りを果たそうと躍起になるし、その枠から落とされまいと表面だけでもその場を取り繕おうと歩きます
親は学校での評価だけを結果とし、自分の子供達の中に「優劣」をつけ批評家となります。

そんな中で育まれたもの・・
それは「出来る子」と「落ちこぼれ」による親の意識の偏りです。

出来た子供には親は賞賛と賞金が与えられ、
落ちこぼれには親の「横目視線」が与えられます。

その結果生まれた「俺様論者」
その結果生まれた「愛情飢餓」
いずれも その子供に罪はありません

「親の都合の好い子供」で育った彼らは「特権意識」を勝ち得、世の中に「俺様主義」を当然とし 船出します。
かたや「落ちこぼれ」となった子供は
「誰かが自分を必要としてくれる事を必要とする人間」として 生きて行く事となります。

「玄関と応接間」の生活

「俺様は特別」で育った子供達は 当然のように「特権意識」を持っている訳で
そこには「俺様に限って間違いなどあろうはずもない」という意識が前提にあり
そこをつつかれる事は その当事者の命をも脅かすほど恐ろしいものです。

マズローの欲求段階説

1)生理的欲求
2)安全の欲求
3)親和(所属愛)の欲求
4)自我(自尊)の欲求
5)自己実現の欲求

これら一つ一つの段階を踏まえたうえで「自己実現」があるのですが、彼らはいきなり「自己実現」を求め走り出します。
そこに大きな問題が起こるのです。




マズローは、自己実現した人の特徴として、客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、自然な態度、自発性、自律、心理的自由などを挙げている。
又、優秀な人ほどこの段階を駆け上がるのは速いが、自己実現を果たし、自己超越の域に達する人は極めて少ない。数多くの人が階段を踏み外し、これまでその人にとって当たり前だと思っていた事が当たり前でなくなるような状況に陥ってしまうとも述べている。
                          (ウィキぺディアより引用

要求の度合い

掲載日:2007年10月19日

しがみ付く心理

自分の立場が不安な時 人は 時として その相手を全面否定しながらしがみ付く・・

「ああしろ」「こうしろ」という「要求」が多過ぎるのは
「相手」という<自分の一部>に可能性を求めている訳ですが、
彼らに共通している事は<ケチである>という事。

これは お金が欲しいから「ケチ」なのではなく、

≪相手の価値を評価していない事を相手に思い知らせるため≫であり、

奴隷扱いするのも ≪相手の価値を否定する為≫。

その理由は
「そうしないと 自分の価値を肯定出来ないから」。

その根底には自分自身が持つ「コンプレックス」と 相手への「羨望・嫉妬」が存在するのですが、その羨望を自分のモノにしようと企て、 それが叶わぬものだと分かると
一気に「憎悪」となって相手を攻撃するようになるのです。


離婚にまつわる悲惨な殺人が後を絶たないのは 相手を<都合のよい道具>と解釈する人格異常者が当たり前にこの世に君臨している事を証明しているようにも感じます。



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