投影同一視
掲載日:2007年8月1日
表裏一体
これは、コンプレックスの対象と自分を無意識のうちに混同することにより、安定しようとする働きです。
アルコール中毒の人の子供がアルコール中毒に陥るケースが多いというのも、この作用によるものかもしれません。
もっと身近な例だと、親の受け入れがたい欠点を子供が知らず知らずのうちに継承している、というのも、そうかもしれません。
このような作用は、親の欠点や、先祖代々の欠点と『向き合わない』あるいは『対決しない』場合に起こるのではないでしょうか。(あるいは、『意識できない』)
実際、ある個人に症状が出る場合、家族や先祖代々の問題を明確化するために、ある個人が重荷を背負わされているのでは? ――と思えるような場合も多いです。
あるいは、本当は親を非難したいのだけれど、それができず、コンプレックスに屈服するかたちで、知らず知らずのうちに、親と同じような生き方をしている場合もあるでしょう。
例えば、親の中に、自分が受けきれないようなものを見出したとしましょう。あるいは、そういう経験をしたとしましょう。
それは本来(親を)否定するような事だったり、嫌ったり、怒ったり、批判したりするようなものかもしれません。
しかし、それが「受けきれない」ような内容であった場合、それは無意識下に追いやられます。
なぜなら、それを真正面から受け止めてしまうと、潰れてしまうからです。幼子にそれを受け止めろというのも、酷な話です。
で、それは無意識下にありますから、当然、意識する事ができません。
しかし、意識はできませんが、確かに無意識下に存在するし、生きてくる中でどんどん蓄積して大きくなりますから、やがて無視できなくなります。無意識下にありながら、意識の領域にまで影響を与えるようになります。
そこで何とか自我を安定させようというメカニズムが働くわけですが、「同一視」の場合、自分と対象を同一とみなし扱う事になります――この場合、自分と親を同一とみなす事で、自我の安定を図ります。
結果、そういう働きが、親と同じ態度や行動として表に現れるわけです。
本来、「嫌ったり」「抗議したり」「批判したり」するような対象と同じように振舞う事によって、その内容を意識する事を避け、自分を守ろうとするわけです。
まあ、親と同一視するようなことは、程度の差こそあれ、誰しもあるとは思いますが、もっと高尚なものと同一視し、これが過ぎると、自分のことを「神」だと名乗ったり、「世界の支配者」だ、「救世主」だと言い出したりすることもあるようです。流石にこれは、危険かもしれません。
判断に当たっては、ある種、社会常識というものも必要だと思います。
常識という基本姿勢があって、そこに例外が発生するのです。
ユング心理学者ページより転写
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