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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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社会生活の中での家庭の位置づけ・・

掲載日:2007年8月2日

家長・家族・・ この奇妙な関係

心理学を学びながら分かるのは 「自分」という このどうしようもなく手の掛かる存在でした。
私は夫が大好きでした。勿論 それは夫の一部分だったのですが、私はこの夫の一部分の為に自分を賭けようと心に決め全身全霊 真心を尽くすことを惜しみませんでした。
「貴女の為に頑張ります」と・・これが「真面目」な人の親しみ方だと信じていたからです。
ところが夫はと言うと
「そんなに好きならこれをしてくれてもいいだろう」「あれもやってくれ」
「してくれないってことは じゃぁー私を好きじゃないんだ」と要求し続ける
その言葉に「・・・」の私と それと同時にその要求に応えている自分がいた

その点 親しくなる人とはお互いに無理がない・・・
「これをして」
「嫌よ」
「何でしてくれない?」
「貴方だってこの間してくれなかったでしょ」という風に
さりげない会話がコミュニケーションとしてキャッチボールできるようになる。


結局 私は脅迫概念に囚われながら夫の要求に応え続けることとなり、最後は疲労困憊でギブアウトしてしまった
私がこれに気付いたのは友達との付き合いと夫との付き合いの差だった
私はいつでも友達と気兼ねなく話し 楽しく会話が出来た
相互にいいたいことを言い合っても それでもおつりが来るほどの心の栄養剤になっていた。

本来会話とはコミニュケーションの手段であり「信頼関係」は大前提のもの

しかし、夫との生活では、所作一つ・何から何までアンテナを張り巡らし、それこそ戦闘態勢を取りながら夫と相対していたように思う

夫との会話は「公式的」である事がいつの間にか定着し、こちら側は夫に隙を作らないことが前提になり、結果として母子共に夫に無関心になって行った

夫は「議論」が大好きだった
何かにつけ「家族会議」と称しては私達を5時間6時間・・ 
時には朝の3時過ぎまで付き合わせた事もあった

しかし、その会議がどうなったかと言うと
「私の主義主張を認めろ」
「私はこれからこうするから従え」だけ。
その公式を家族に与える為だけに延々 寝る間も惜しんで喋り続け、
こちら側の意見は一切無視し「じゃぁ そういう事だから。もう遅いから寝よう」
と充分満足して サッサと寝室へ行ってしまう
これが自己愛者の<理想的な家庭>である

これは「本当の自分を理解して欲しい」の欲求から起きる会話ではなく「点」の意識。

「自己意思の押し付け」の為に画策した会議だからこそ「公式的」になっているもので
優しさや豊かさを育む基本がないのが特徴だった。

アルジとしての強さ・権力を議論の場で示す
それは強いフリをした為に 結果として絆を壊す元となってしまった



何がいけなかったか
私達夫婦に欠けていたもの・・
「無理をしないほうが愛される」という極基本的な<自分を大切にする心>が欠落していた 
それは 紛れもなく幼少期の親子関係の歪みから来る愛情飢餓感だったと思う。


結局 触れ合いの場を知らずに育った二人が作り上げたものは家庭に会社と同じ機能を求め「結果第一主義」となった。
しかし、現在のこの国の家庭環境を考えると このような機能不全家族はこれからも増え続けるのかもしれない。

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