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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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投影

掲載日:2007年8月1日

表裏一体

これは 自分の中にある意識できない嫌いな面を、相手の中に見出し、徹底的に嫌ってしまうような事です。自分が否定しているような事は、案外自分では気づかないもので、
そのお陰で、自我の安定が守られたりします。何かを抑圧することで、自分を守るわけです

その内、溜まりに溜まったものは、意識にまで影響を与えるようになり、それを否定しようという力も強くなります。強く抑えつけざるを得ないようになります。
そうしてでも、安定を守ろうというメカニズムが自然に(=無意識的に)働くわけです。

という事は、自分が頑なに否定しているようなものは、些細なものでも赦せなくなるわけで、相手の中に見出した、自分が抑圧してきたようなものも、当然、赦せません。

ここで不思議なことに、自分の姿は見えませんが、相手の姿は容易に見えるので、それを徹底的に否定することになります。

自分の中で、影の要素を、何が何でも抑圧するように、自分の影を見出した(あるいは、映し出した)対象も、何が何でも否定しようとします。

自分の中の影なる部分を認識するのは耐えられないので、意識しないように徹底的に抑圧するんですが、同じように、自分の影と同じものを持つ相手も、徹底的に否定しようとします。

そりゃもう、少しぐらい道理が歪んでも、お構いなしなくらいに、否定したり攻撃します。

ここで厄介なのが、「意識できない」事です。

自分の事として意識できないから、それを止める事ができません。

第三者にとっては些細なことでも、それを赦すことは、自我の安定を脅かすことになりますから、赦すことができません。
相手は相手、自分は自分と割り切れればいいようなもんですが、自分のことを相手の中に見出すわけですから、話がややこしくなります。


自分は、自分の中の影なる部分を認める事ができない、
 ↓
抑圧して、安定を図る、
 ↓
抑圧しているから、それを自分では意識できない、
 ↓
「抑圧→肥大化」のシステムで、無意識下で抑圧したものは大きくなる、
見えない領域で、それが蓄積される、
 ↓
より強く、否定しなければならなくなる、
(抑えつける対象がどんどん大きくなるので、抑えつける力も、当然、強くしないといけなくなる)
 ↓
相手の中に、自分が否定しているものを見出す、
 ↓
自分の中でそれを強く否定しなければならないから相手に映る自分の影も赦せない、
しかも、自分のことは意識できないから、それを単に相手のことだと認識し、一方的に、相手が赦せなくなり、徹底的に否定する

で、自分自身で自分の影を認識することが赦せないんですね。自分の影を認めてしまうのが、赦せないんです。
だから、自分の影を臭わせるものは、何でも赦せなくなるわけです。
どんな些細なことでも、認めるわけにはいかなくなったりします。
だから、自分の影と重なる部分を有する、そんな相手が赦せないんです。

自分のことを相手の中に見出したり、自分のことを相手のこととして認識することは、誰でもあると思います。
それに、そうする事で、自分の心の安定を、守っているわけです。

投影ですが、他の言い方をすると、「棚に上げる」っていう言葉があります。

「自分のことを棚にあげて―― 」ってやつです。

そして、自分の態度を改めないわけですから、エンドレスに続きます。
むしろ、エスカレートするでしょうか。

そして、ここでも問題となるのが、「意識できない」ということ。

意識しないことで自分を守る代わりに、意識できないので、修正が利きません。
(ここでも「二面性」があります)

相手が赦せなくて、徹底的に否定しているようで、実は、自分のことを無意識の内に(あるいは、自分の中にある無意識的なものを)徹底的に否定していたりします。
(自分を否定するのは耐えられないので、投影した相手を否定することで、発生した力を処理するんですね。まあ、自分といっても、無意識的な自分、無意識内にある影の自分、何か理由があってまだ意識できていない自分、ですが)

ホント厄介です、この投影という機能・・

自分の影を見るのは難儀なことです。
影というだけあって、振り返ったり、何かに映し出したり、そうしないと、なかなか見ることができません。

厄介な投影という機能、これにもいろんな見方があり、付き合い方があります。
それは我々と共にあり、我々を見つめています。
そして、それをどう生かす(活かす)かは、自分次第です。

良い面、悪い面、二面性があるし、善悪を超えた、意味があったりしますから


ユング心理学者より転写

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要求の度合い

掲載日:2007年10月19日

しがみ付く心理

自分の立場が不安な時 人は 時として その相手を全面否定しながらしがみ付く・・

「ああしろ」「こうしろ」という「要求」が多過ぎるのは
「相手」という<自分の一部>に可能性を求めている訳ですが、
彼らに共通している事は<ケチである>という事。

これは お金が欲しいから「ケチ」なのではなく、

≪相手の価値を評価していない事を相手に思い知らせるため≫であり、

奴隷扱いするのも ≪相手の価値を否定する為≫。

その理由は
「そうしないと 自分の価値を肯定出来ないから」。

その根底には自分自身が持つ「コンプレックス」と 相手への「羨望・嫉妬」が存在するのですが、その羨望を自分のモノにしようと企て、 それが叶わぬものだと分かると
一気に「憎悪」となって相手を攻撃するようになるのです。


離婚にまつわる悲惨な殺人が後を絶たないのは 相手を<都合のよい道具>と解釈する人格異常者が当たり前にこの世に君臨している事を証明しているようにも感じます。

脱出

掲載日:2007年10月19日

30余年の思いを胸に 「し放題夫」を切り捨てる事を決断。
子供と共に あの家を捨て、新居で新たな人生を歩き始めました。

モラとの決別には それなりのリスクが伴いますが モラ心理を逆手に取り、
徹底的にモラから嫌われる妻を演じ切りながら 脱出計画を実行。

夫は最初 妻というサンドバッグを取り戻そうと 私や子供にまで脅迫メールを送ってきましたが こちら側は無反応。

それが見事に功を成し、ついに諦めたようすで また新たにサンドバッグを探し始めました



「ファザーコンプレックス」・「アダルトチルドレン」・「恋愛依存症」等の問題を心理的に抱えた皆さんがモラやDV加害者のターゲットに成り易い傾向にあります

「私は人の為に尽くすのが好き」
「他人が喜んでくれるのが好き」
「誰かが自分を必要としてくれる事を必要としている人」

「父親のような人が理想」
「父親の愛情を知らずに育った人」
「父性愛を求めている人」

「いつも 心に寂しさを抱えながら彷徨っている人」
「愛されたい・ばかりを考えている人」

モラ餌食にならない為に 是非 ネット検索をお勧めします。

「一歩の誤り」から・・

夫から毎日繰り返される私への罵声。やること成す事 全て否定される。
「あれが出来てない」「これもダメだ」「何をやってる」「心が篭ってない」
毎日毎日、罵詈雑言の夫。
『なぜ・・?どうして・・?』その思いの中で、それでも尚、「私が至らないから・・」と自分に言い聞かせ 夫の要求に必死に応えようとする私。
子育て3人プラス大きな赤ん坊の夫と思いながら過ごした30余年だった。
「良妻賢母」
これが夫の理想だったからこそ 私も妻として精一杯体を張って歩いて来た。
過度のストレスで倒れる事も度々・緊急入院も経験。挙句 酒乱の夫からの暴力で恥骨を蹴られ骨折;緊急入院までしても尚、諦めずに夫婦を歩いて来た。
子供も巣立ち行く今 これからが夫婦水入らず・
「それぞれが思い描いた人生を互いにサポートしながら歩こう」と思っていた矢先
夫が調停に離婚申し立て・・
離婚理由が「夫の命令に従わない妻とこれからの人生を共に歩けない」だった。

「呑む・打つ・買う・暴力」の夫が、家庭をしっかり守り抜いて来た妻に対し「夫の命令に従わない」の理由で離婚調停
こんな馬鹿げた話があるだろうか・と悩んでいたら「こんなバカ男と早く離婚して!」と子供達からの離婚応援メール。

耐えて耐えて耐え抜いた年月だった。

後少しで娘をこの家から嫁がせる日も近い・・
長男のお嫁さんはどんな人かしら・・
次男の彼女は・・
産んだ子供の数分 大きな幸せの花も咲くはず・・の思いはこの夫の前で脆くも崩れ去った。

もういい・・自分を許してあげよう・・
人生 そこまで自己犠牲を払って生きなくても・・と。
もう ゴミ屑のように扱われてまで耐え続けるのはやめよう・・
「これからは自分らしく 明るい私で生きて行こう」と。

夫は毎日狂ったように次のサンドバックを探している

「居場所」というのは 単なる物理的な場所の事ではなく「安心してそこに居ていい」と思える場所であり、そこに居る事を認められる場所です。

そこには<よい人間関係>が維持出来る為の「愛する能力」が必要です。

 

30余年、私は夫から「その場に居てよい」と言われる為の、

<自分を演じきって行く事>を無意識の目標にしておりました。

しかしこれは 「夫の欲望に合わせた自分を生きる」ということなので「自己欲求」とは成り得ず、結果としてその空虚感を埋めるように「自己懲罰」と「自己卑下」が私の心に蔓延り、自己評価を自ら下げてしまい 自分を責めてしまう結果となってしまいました。

本来 夫婦が作る家庭とは一種の職場と考えればよいのですが 安全と秩序は職場以上に重要で、もちろん職務規程や上下関係は原則ありません。代わりに「相手の尊厳の維持に最大の注意を払うという義務」が課せられます。

<アバタもエクボ>・・の相手を 今では「こんなはずでは・・」と 双方が思っているわけですが 夫婦双方が「あなたのここが嫌いなのよ」と言えるようになり、それを相手が修正しようとしたり・しなかったり ガチャガチャと色々言葉が飛び交いながらも相互に補い合う関係というのが望ましいのですが、

私達夫婦の場合は言い合いもするけれど それは 歩み寄る為のものではなく「アルジ」対「奴隷」というような<夫が勝手に秩序のルールをつくり、それを相手が尊守する事を当然>と主張する関係を構築する為の<手段>に過ぎず、「安全と秩序」とは逆の「独裁者」となり「無条件の受容」「絶対受容」を潜在意識で要求し、そこに「母なるもの」の絶対性を求めてしまった。

要するに夫のようなモラルハラスメント・自己愛者は「家」を子宮的環境とし、その中に「自分だけ」の居場所を見出そうとしている事が問題であるため、その支え手である役割者を取り上げ、「赤ちゃん」への過剰なミルク供給を止めさせれば良いわけです。

 

また、子供は新入社員ではありません

夫婦関係のように親を選ぶ事も出来ない。

だから 「安全」も「秩序」もあり得ないような独裁者の手法の下で暮しながらもその場を「居場所」と思い込もうとする。

しかし、その子供もやがて社会性が育まれるようになると自分の家庭と よその家庭の違いに違和感を覚えるようになり その子なりの「安全と秩序」の感覚を備え それを求めるようになるのです。

 

また、私達はそれぞれが育った環境下で覚えた人間関係を ある分類した箱のようなもので自然と振り分けていきますが、

(例えば「父親が厳格だった」「母親は表面的には従順」というように・・・)

他人と出会った時々に 自分が知り得る限りの人間関係の「分類した箱」にポコポコと入れてしまい、相手は無条件で「ある枠」に置かれてしまう。

そして その「枠」が、夫婦双方のプライドに 傷をつけたことで闘いが始まるのですが 「枠」に入れてしまった当事者には 全く理解出来ないために いくら言い合いに成っても それを受け付けようともしない・ということになる。
結局 ≪自分の知らない枠もある事を理解し受容する事≫でしか 他人同士の繋がりを維持することは困難なのかもしれないし、夫婦ならば尚更 相互に認め合う事からでしか 家庭を守り育てる事は難しいのかもしれない。

 

 



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