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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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「一生懸命、自己を犠牲にして、尽くして、尽くして、利用されて、裏切られる。」

(一生懸命俺の為に尽くさせて、思いっきり利用して、使えなくなれば捨ててやる)



「出来ない」とでも言おうものなら、罵倒されて、袖にされる。

(出来ない?フン ふざけるな!さっさとやれよ!お前にはそれしか脳がないんだから。捨てられたくなかったら、俺様の言うとおりに働けよ~!)



「そんな馬鹿な話はありません。」
(奴隷のクセに 一端の口利くな!)




これが 相手の真意です。

「女中でも下女でも使用人でもないんです。私達は。」

でも;それが現実。

最も驚くのは その異常性・・
夫は <自分が原因>を作っておきながら、
その<原因に対して起こしたこちら側の行動を原因にして> 攻撃して来る事です。

だから、話しが噛み合わないし、都合のいい自分で生きて行けるのです。

夫には一本の筋があります
それは「俺様に限って間違い等 あるはずが無い!」という信念。
そこには 他者と共有する一つも持ち合わせていないのです。
だから「俺様」
他者は「都合の良い道具」

私が「口惜しい」と思うのは、その事実を摩り替えられたことに気付かずにいた、という事実を心で受け止めきれないから。

どちらにしても これ以上、相手に向けて発信する手立てがなくなってしまった・・



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今までの私は 困難を避けようとするほどストレスを溜め込んで来たの
それは自分が受身で物事を捉えていたから・・。

<敵意>と<依存>って同じ線上にあるように思えるし、
自分以外の何かを非難している間は依存心から抜け切れていない訳で、
それを解消するには 困難に向かって行くしかなかったのよ

そこに気付いたら 相手に期待しない自分にも出会えたし、
「ありのままでいいんだ」と受け入れる事も出来た。

「相手に望むなら 自分の視点を変える」
わずかそれだけの事に心痛めてた自分が 遠い昔のようにも思える

結局「相互自立」とは<それぞれの夫婦でしか成し得ない妙技>だと 
今の私は思っています。
2007年5月11日の日本経済新聞夕刊に「DV男の見分け方」が掲載されました。

        <エリート層も目立つ>
        <古い男女観に浸る>
        <感情表現が苦手>

       :こんな男性は要注意: 

      ・テレビのチャンネル選択権を独占する。
      ・「一人で生きて行けないヤツだ」と妻を見下す。
      ・嫉妬心からの暴力は愛情の深さだと言い訳する。
      ・暴力を認めても きっかけは妻が作ったと主張。
      ・金銭に細かく、高収入でも妻に渡す生活費は少ない。
      ・企業社会の効率的な動き方を家庭の妻にも求める。

                      (DV男の見分け方より抜粋)

私は自分をおざなりにして夫の為に自己犠牲を自負して生きてきた
その結果何が得られたか・と言うと、結果として「奉仕」は<召使い>となり<奴隷><下僕>となり終いには<道具><モノ>と化してしまった;

多くの場合、尽くせば当然「感謝」が返って来るものだと信じている・が、しかし、中にはこのような輩が存在し、自分は適当な位置に鎮座し、
ただ上から人を指差しながら鞭打ち・伴侶はズタボロになり悲鳴を上げながらも更に鞭打たれ、その光景にほくそ笑む卑劣な人種も存在するという事

それを回避するのに必要だったのは
「ムリをしないほうが愛される」という極々当たり前でありながら
私達には<怠け者>と捉えるような人間の生き方・・

しかし、本来 自分に課せられたお役分を弁えさえすれば
「やらないのか」「やれないのか」の分別は自ずとつけられたはず;

そこを考えてみれば「これでもか・これでもか」と鞭打たれ 悲鳴を上げながら自己犠牲を強いる必要などなかった事に気付きます。

私は根本的に「自己犠牲」を愛情に摩り替えていただけ;
そこに気付けば「自分を愛する事」の大元に立ち返ることが出来ます。


「助けたい・役に立ちたい・力になりたい」→自立心

「頼りたい・甘えたい・当てにしたい」→依存心

 という二面が存在します


相手の問題点をあげつらう事で解決は出来ませんし、自分の取った行動で相手に打撃を与える・と言う思惑は結局自分自身の慰めにしかなりません
彼らには彼らの生き方があり、その生き方を阻害するものに何の未練も無いのですから・・

要は 「問題はいつも自分自身の内側にある」・という事を知る事

  <その問題をどう受け取るか>それに尽きるのです



>信じてた人、人生を託した人から裏切られたショック

他者に自分を「こう思ってもらいたい」という強い意思表示が含まれていると「こうされたい」と望み、その意志を貫こうと自分自身の葛藤に悩みます、

しかし、それは自分自身が単独で「こうしたい」という事ではないのです

「こう思ってもらいたい」「こう思ってもらいたかった」という自分を抜きに考えると、
自ずと最後には「こうしたい」という自分と向き合い
「思って貰いたかった」と「こうしたい」という心理が全く別のものである事に気付きます
<相手に期待する気持ちを捨てれば、気持ちは楽になります>

夫婦で歩く上で必要な事は オールラウンドプレーヤーになることであり、
相手を「あるがまま」受け入れる事が求められているのかも知れません..



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