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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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3月24日 責任感と無責任さ

 責任感と無責任さについて考えてみましょう。

 いつも責任感が強く、やらなければならないことは必ずやり抜き、自分は無責任さとは、まったく無縁だと思い込んでいる人は、本当にそうなのか、もう一度考えてみましょう。

 やらなければならないことをしない人を、無責任だと非難したり、さげすんだりすることによって、自己満足していることはありませんか。「こうするべきだ」という責任感にとらわれてしまうあまり不自由な人になって、自分と他人を縛りつけてしまってはいませんか。他人の責任をとってしまい、その人をむしろ無責任にしてしまってはいませんか。

 自分の責任感が適当なものなのか、それとも自分と他人をコントロールしすぎているのか、自分は他人をどのように無責任にしてしまっているのか、考えてみましょう。

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3月23日 愛をもって距離をあける

 愛をもって距離を置くことを学びましょう。

 自分のまわりの人たちが問題を起こして、害のある行動をしているのを見るのはつらいものです。何とかしてあげなければと焦って、あれこれ世話をやいたりコントロールしようとしても、相手はますます無責任になってしまうばかりです。本人が自分で害のある行動をやめようと努力しなければ、本当の変化はありません。

 自分の心配を真剣に愛をこめて相手に伝えたあと、「本当にそういう行動をやめようと決心したとき、もし私の助けが必要だったら言ってください」とやさしく言って、距離をとりましょう。その間、相手の間題よりも自分の人格の成長、自分の人生の充実に力を注ぎ、勉強したり、趣味を見つけたり、奉仕活動をしたりして、自分の努力が実を結ぷ可能性のある方向に時間をつかいましょう。こうして相手から距離をとり、自分の世話をしていると、相手のことで神経をすりへらしたりせず、怒りや恨みが積み重なることもなく、愛を持って、相手の気の毒な状況を見守ることができます。

3月22日 友だちについて考える

 友だちについて考えてみましょう。

 家族の次に重要な人は、親友でしょう。いったん自分の家族ができてしまうと、学校時代に出会った友だちは、忙しさに紛れて音沙汰が途絶え、つい離れていってしまいがちです。仕事だけの生活をしているために、友人関係が保てない場合もあります。時がたつにつれて考えや環境も異なってきて、自然と別々の道を歩くようになることも珍しくありません。

 友人関係を保つには、ある程度の時間と努力が必要です。連絡がとだえている友人に手紙を書いたり、電話をしてみましょう。

 連絡がついたとき、どんな気持ちがしましたか。お互いに支えあいがありましたか。それとも、競争意識にかられましたか。本当の親友は、お互いをありのままに受け入れ、思いやりを込めた正直さで話しあいができ、お互いを助け、励ましあいます。いつもお酒を過剰に飲んでにぎやかに騒ぐのは、その場は楽しいかもしれませんが、本当の親友とは言えません。

 友だちの数が少なくなったり、一人もいなくなったりしている場合は、どうしてそうなったのか考えてみましょう。その原因となっていることを改善しましょう。友だちがまったくいない人は、同じような価値観、趣味、考えを持った人の集まるクラブや、自助グループ、ワークショップなどに参加して、積極的に友人関係をつくり、発展させていきましょう。

 愛は求めても得られない
『愛される法則』(p.56-p.58)
(大和書房)

「大部分の人びとは愛の問題を、第一に愛するということの問題としてとらえるというよりも、愛されることの問題として考えている」(エーリッヒ・フロム)

それは損得で生きているから。
男は、愛されることを求めているから、自慢話をする。
女は、得することを求めているから、お化粧をする。

「この人の存在があるから自分がある」
と考える人は、損得で生きていない。
相手の存在があって、はじめて自分の心が豊かであることを感じている。
だから、相手に感謝している。

愛を知らない人は、損得の感覚が異常に発達している。
相手がいるから、この自分がいるとは考えない。
だから、相手とはかかわっていない自分が得することを考える。
だから、損得で生きている人は、心が満足していない。
いつも虚しい。

親が子どもに甘える。
「心の休ませ方」「PHP研究所」

 前回書いた「親子の役割逆転」とは、子供の研究家として名高いボールビーの言葉である。
 だから「親子の役割逆転」をして育った人は、人の好意を怖くて断れない。大人になってもその感情的記憶は残っている。
 
大人になっていくら「食べられないときには、残しても責められない」と自分に言い聞かせても、やはり残すのは怖い。
今目の前に居る人は、母親と違って「残しても責めない」と意識で分かっても、食べ残すことの恐怖は残る。
それが感情的記憶である。知性が記憶しているのではなく、感情が記憶しているのである。
 
幼児期や少年期に出来たニューロンのネットワークはそう簡単に作り替えられるものではない。
そうした環境の中で育てば、自分が何か言うことで相手が傷つくことを恐れる大人になる。

テレンバッハの言う加害恐怖に陥る。

相手が不機嫌ということは、そういう人にとっては責められていると言うことである。
だからそういう人は、大人になってからも相手の不機嫌にいつも怯えている。



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