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ナント;夫は「回避依存症」の独裁者・搾取者・ナルシスト・脱走者。そして私は共依存だった。
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先日 ある議員宿舎から息子さんが飛び降り自殺 というニュースが耳に入りました
そしてそのお子さんが鬱病を患っていたと聞き さぞ 自分の運命を呪ったであろうことは私にも想像がつきました

子育てについては夫婦相互で助け合う事は大前提ですが 時にはその協力がどちらかに委ねられてしまったり また 双方が大人になりきれないまま自分自身の面倒すら見れない方達がオロオロしながら 都合の好い自己流子育てを当然としてやっている現状もあります

心理学者のサーゲイ・サンガーによれば 
子供の一生に関わる最も重要な時期は12ヶ月と説いています。
また それ以後も夫婦相互で助け合う必要があり
夫は妻の感情の重要な支え手として夫としての役割と精神面だけでなく実際上の家事サポートをすることで母親もよりよい母としての役割を果たすと。  
誰がどうではなく「完璧な子育て」等ありません
しかし 相互に補えなかった・・
子供の愛情サインを受け止められない親・;・
子供が同じ目線を要求しているのに対し 親は上からしかモノを言わず
更に 子供の問いかけに対して 親の都合で物事を優先してしまった場合など・・・
子供にとっての母親は絶対的なものであるだけに 幼少期の関わりも深いものがありますがそれを補う父親(夫)の「救いの神」の役割が表舞台には登場こそしないまでも 母親(妻)にとっては不可欠なもの
これこそユングの提唱するコンプレックス、フロイトの精神分析<エディプスコンプレックス><エレクトラ・コンプレックス>に繋がる幼少期の葛藤そのものであるとも取れます
ただ大脳生理学からするとフロイトの説を疑問視する学者もいるようで・・

その辺は私には理解出来ない部分ですが。

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モラ攻撃を受けている方の多くは
自分を守る事に必死で 子供にどこか依存しているケースがあり
その結果「AC」が生まれるように思うのです

シーベリーは大胆にも「血縁を切れ」とまで言われていますが
繰り返しの中で育まれる連鎖を断ち切るためには
<甘えの構図>を分析することだと思っています


子供は多かれ少なかれ親のお気に入りであろうとするし 親なくしては生きていけない事を身体で受け止めながら生きています

だから 少しでも親のいい子でいようとするし 親が自分を認めてくれることを目標に歩きます

そんな子供に向かって親が放つ<言葉の毒矢>

「お前がダメになるんだぞ」
「こんな常識もしらないのか」
「お前のお陰で親の私が笑われるんだ」

この言葉は親に対し反抗し始めた子供を、親の権力で操縦出来なくなった怒りと焦りの表現で
『私に服従せよ』の言葉を「大義名分」に摩り替えた言葉ですが これは正に「脅し文句」

自分の無力感を感じると同時に子供に対し「恐れ・怖さ」さえ感じている表現です

どのような場合も <苛める側は 苛める相手を見極める>

そして その忍耐度を測り その相手の器に応じ 服従的な相手を選り分けます

そして最終兵器が「誰のお陰で」  と始まるのです

無力な子供は その言葉に対し成す術も無い・にもかかわらず 
親は勝ち誇ったかのように
その子供達の上に君臨することとなります。

そして無力な子供は何一つ抵抗することも無く「親」という権力の下で
アルジに仕える奴隷と化します

それを夫婦に当てはめてみれば一目瞭然

夫にとって妻は最も必要な相手のはず・・

しかし 妻が病に伏していようが居まいがお構いなく 優しい労いの言葉もなく

むしろ「健康管理は妻の仕事。怠慢なんだよ。毎日楽をし過ぎているからだ。もっと働けよ」とまで言い出す。
もっとも性質の悪いのは 逆らうこともせずそれに応えてしまう妻
夫の言い成りの妻を獲得した夫は 妻の痛々しさ等何処吹く風・
他の女性とルンルン。
そのようなケースが この組み合わせには多くあるものです

悩みの淵に佇んでいるだけでは何も始まらない。

その事実を改善するには【受けた痛みを叫ぶ】

そこからだと。
>彼は、妻に暴行を働くことで幼少期から受けた「親に対する怒り」を
かりそめに代位発散しようとします。と同時に…
>「俺を見捨てるな!」
>「俺を守れ!」
>「俺を優先しろ!」
>「俺を愛せ!」
>「俺を賞賛しろ!」
>「俺のしたいことをさせろ!」
>「俺が欲しいモノを買え!」
>「俺を抱きしめろ!」
>「俺が強いことを認めろ!」
>「俺を一番好きでいろ!」
>「俺を何より大切にしろ!」
>「俺の食べたいオカズを作れ!」…etc
>などとダダをこねてるに過ぎないのです。
>それが彼の意識下にある真の動機です。


我が家の状況そのまま・・・
「地球は自分の為に回っている」と信じて疑わない人達がいる・・・

出会った頃のあの言いようの無い、漠然とした不安は年を重ねる毎に
疑いから確信へと変わって行った・・・

<人を信じることの出来ない人達が居る>・・
その現実を<人との関わりが大好きな私>が受け容れる為に要した時間・・
代償は大きい・・

しかし、そのお陰で掴んだものも多い。
物質・精神面 両者のバランスの重要性は この親子を眺めていればよく解る。

「私の父親は金色夜叉だ!」が口癖の夫だった・・


そして今 晴れて夫は やっと念願の<一国一城のアルジ>・・
誰憚る事ない立派な「裸の王様」となった。
人は傷つかないようにすればするほど傷は深くなります

つまり 耐えれば耐えるほど 私自身 夫に対する期待も深くなり 
それと同時に夫に対する執着と怨念も深くなる・と。

≪切り捨てる≫
とは
夫を切り捨てる事ではなく 私自身の執着を切り捨てる事であり
対相手の問題ではなく 自分自身の心の有り様である事を受け止めること・・

「今 私が行っている努力は私の納得の行くものか?」

それを常に問いかけながら・・・

困難に立ち向かい執着が強ければ強い程 相手の餌になる・・。


そして執着した故に 代々引き継いでしまう因縁・・


私に向けられた矢は一本。
第二・第三の矢を放つ事の無い様にしたいと願わずにいられない。

そこで
自分で作ってしまった悲劇のヒーローに終わりを告げる為には
「悩みの淵に佇んだ自分を慈しむ事」ではなく 「新たな希望を持つ自分を構築する事」
そこに気付けば自分を犠牲にしてまで相手に奉仕する必要が無いことに気付くし、
誰かに迎合するのではなく
それぞれがしっかりした基礎を持つ ということにも気付く。

そして 誰かが自分の精神をコントロールするのでは無い自分を生きる
為に必要なものは 心の方向転換。

それが結果として肩の凝らない生き方であり 「自分らしさへのお誘い」でもあると。
だいたい、夫は本来であれば自分の親に対して
罵倒や暴力をぶつけなければならなかったのです。
それが正当です。相手は妻や子供ではありません。
完全に怒りの矛先を見誤っています。

多分、幼少の頃から親が望む行為をすると受け容れられ
そうでない場合は拒絶されるという「愛」とは似ても似つか
ない、ぞっとするほど冷たい境遇で育ってきたのでしょう。

それでも親からの愛もとい保護が無くては生きて行けなかった
彼は自分の本心を押し殺し迎合してまで、親の意に沿わざるを
得なかったのでしょう。これは悲劇です。

結果、心的外傷を負ってしまうに至りました。
そして精神的にも未成熟なままです。
要するに「健全な心を育成する土壌」を親から与えて
貰えなかったのです。

DVのそもそもの根本原因は「歪んだ親子関係」に端を発しています。
親は子を肉体的には誕生させても精神的にはこの世に誕生させては
いないのです。

物理的に子供を作ることと子供の魂を健全に育むこととでは次元も
性質も完全に異なる話です。おそらく彼の親には「その能力」が欠損
してたのでしょう。

かつて沢田研二が、時の過ぎ行くままに。という曲の中で
「♪身体の傷なら治せるけれど心の痛手は癒せはしない」
と歌っていましたが流石、阿久悠!それは全くその通りです。
心的怪我を負ってしまったら手当てが必要不可欠です。
手当て(ケア)なくして傷が癒えることはありまっせん。

しかし、ここでひとつ大きな問題があります。
心理的に問題を抱える夫自身が自身の心的問題を認めないことです。
所謂、「否認・抑圧」というのがこれに当たります。
本人が認めない限り全ての努力(治験)は徒労に終わってしまいます。

本人の意識下にマグマのような「怒り」が溜め込まれ少しのことで
爆発します。その「怒り」多くの場合、自分より弱くて近い人に
向けられます。

妻や子供などです。

彼は、妻に暴行を働くことで幼少期から受けた「親に対する怒り」を
かりそめに代位発散しようとします。と同時に…
「俺を見捨てるな!」
「俺を守れ!」
「俺を優先しろ!」
「俺を愛せ!」
「俺を賞賛しろ!」
「俺のしたいことをさせろ!」
「俺が欲しいモノを買え!」
「俺を抱きしめろ!」
「俺が強いことを認めろ!」
「俺を一番好きでいろ!」
「俺を何より大切にしろ!」
「俺の食べたいオカズを作れ!」…etc
などとダダをこねてるに過ぎないのです。
それが彼の意識下にある真の動機です。これらは全部、自分の親から
与えられ発散解消なされるべきもので妻に求める筋合いのものでは
ありません。
年端もいかない子供と心理構造は全く同じだといえます。
違いは彼には子供には無い「悪知能と腕力」とがある!ということです。
その一点が非常に厄介なのす。
だから、上記のような要求を妻や子に対し直接的にすると恥ずかしい
ので本心は隠し卑怯にも大義名分や道徳などで偽装して、クドクド、
クドクドといつまでも、いつまでも責め苛ますのです。
それほど彼の「怒りのパワー」は強烈で深刻です。

ある心理学者がそんな人を指してこう述べていました。
「彼の意識下には地球を何回爆破しても、し足りない程の怒りがある」と

反対に絡まれた方は地獄を味わうことになります。
どんな場合も倫理や大義名分を振りかざして相手を責める人
ほど実は倫理も大義名分も全く持ち合わせていない人だ!と
考えた方が賢明です。

このように人間社会には齢八十歳にして精神的情緒は
僅か五歳という老人が幾らでもいます。


別れることを決意したならそれはそれでいいのですが、
もしも貴女が夫と共に苦境を乗り越えたいのであれば
専門家の助言をもとに彼(ご主人)に毅然と宣告する
必要があります。
「あなたは心に傷を負っている!
それを正しく認め治癒し
本当のあなた自身を取り戻さない限り決して幸せな
人生は歩めない!このままでは破滅しかない!
私があなたの側についている!苦しいだろうが一緒に
頑張って治そう!全てを正しく認めよう!
あなたは一体、何を恐れているの!?何を認めたくないの!?
私はあなたを見捨てないから!決して見捨てないから!」
と言って彼に「全ての真実」をどうしても理解させ
認めさせる必要があります。

どうしてもです。

すべてはそこからはじまります。


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