思えば 出会った頃の夫にも 既に「自己愛的ナルシシズム」は現れていた。
普段の夫は対外的には「山の手のお坊ちゃま」。
温和で それでいて どこか凛々しく。
いつも私をエスコートしてくれ 絶えず私へのプレゼントを忘れない人だった。
父親の愛情に飢えていた私は その優しさを、「父性」と「異性」両方の愛情と受け止め日々、充実していた。
結局 後にそれが このタイプの持つ二面性だった事に気付かされる事となるのだが・・
私も「AC」であった為に そこに気付くのに この年月かかってしまった・・・
私にとって唯一よかったことは 夫の親族の異常性に順応せず、果敢に向かって行った事だったろう
勿論 それには多くの傷も負った
表面的な部分は勿論、心の傷となる「人格否定」は強烈なものだった;
「貴女を女中と思ってる」から始まった言葉のDVは 正に留まることなく30余年続いた。
夫のその異常性は はっきりと表面化している
<自分が・したい> と思ったことは 何が何でも成し遂げようと働きかける
それが どんなに無理であっても それこそ「無理押し・ごり押し」とでも言うほど
強引に 何が何でも思いを遂げる為に画策する
その思いを遂げる為に夫はあらゆる「大義名分」を持ち出し、自分の思いを遂げる為に
精一杯の大風呂敷を広げ ありとあらゆる理由付けを行い、周りを説得する。
周りも 夫の大義名分の裏に隠された思い等、知る由もないので そのままを受け止める。
そうなれば 夫の画策は見事に成就するし、夫にとっては「自己」を充たすこれ以上の幸福感は無いのである。
「旅行」「コンサート」「釣り」etc
しかし、このどれをとっても「楽しい」の追求でしかなく、<努力して勝ち得たもの>でも <信頼により得たもの>でもない「点」の行為である為、必ず最後には「確認」が欲しくなる
その確認欲しさに今度は「貴女の為に」という<大義名分>を持ち出す。
「妻の為に 毎年海外旅行に連れて行ってあげるような旦那なんてどこにもいないよ!感謝して欲しいね」と・・・
しかし、けして 私が行きたかった訳でも・私が夫に願い出た訳でもない。
それ故「なぜ?」と疑問を投げかける事となるのだが 夫はそれを許さない。
結局 夫は 私を「道具」として利用しただけ
だから 私が「行かない」と言うと大騒ぎだし、「自分勝手だ!」と私を罵倒する。
結局 自分が「・・したい」も「・・してやった」と解釈するし
自分の思考と同じ考えを妻が持つのが当然と考える
それ故「妻と一緒に・・」ではなく「妻の為に・・」と摩り替えるし、
それに感謝するのは妻として当然だと思い込む。
夫は自らの要求を こちら側が甘んじて受け入れている間は上機嫌だった。
なぜなら 私は夫の「都合のよい道具」なのだから。
結局 人格障害者が人と拘ろうとする時、その相手に絡むのは この大義名分を受け入れさせなければ 「自己肯定感」が味わえないからである
だから、毎日が繋がらず、一つ一つがバラバラであり、情緒不安に陥る。
それ故、他者と拘る時、それが最も顕著に表れる。
対外的に温厚な顔で接する夫は 精一杯<外面>で対する為に 神経を摩り減らし
ボロボロ状態で帰って来る
その状態を 一夜で克服する為に必要なものは「俺様」のみ。
家族全員に「下部」を要求する。
特に妻には無条件に求める。
しかし、さすがの私もついに耐えられず(骨折の後遺症もあり) 数年前から家庭内別居を選択。
しかし夫には妻の気持ちは理解しない。
結局「妻が城主を邪険に扱った」の怒りを押し殺し、その思いを恨みへと転嫁してしまった。
元々女遊びは夫にとって日常茶飯事。
まして この現実を受け入れる事など皆無だったのだろう
この時とばかり 堂々 毎週ソープへ通い、出会い系で遊び・・更に不倫。
その上 息子達を誘って 自分の女遊びを自慢し、妻を蔑み つまみにしていたと言う;
その事が発端で 我慢 し通した私もついに堪忍袋の尾が切れ
離婚問題が泥沼化することとなるのだが、夫には「自己責任」という部分で欠陥がある為、一切を妻側の問題に摩り替えてしまった
これが 後に夫の「投影性同一視」に繋がって行くこととなる。
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